「コラム」康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓が知るべき歴史2/日韓国交回復編」

玉虫色の決着

日本側は「当時としては合法的に行なわれた」という見解を持っていた。反発したのが韓国側で「強制的に結ばさせられて非合法だった」という主張を繰り返した。
こうなると、妥協点をさぐらなければならない。
最終的には、日韓併合とそれ以前に結んだ条約や協定は「もはや無効であることが確認される」という表現で決着した。
この「もはや」という表現が妥協の産物だ。日本側は「今は無効だが、1910年当時の日韓併合の条約は有効だった」と受け取ることができるし、韓国側は「今も1910年当時も日韓併合は無効だった」と解釈することが可能だった。


まさに、玉虫色の決着だった。
1965年6月22日、長い交渉の末に日韓基本条約が結ばれた。日本は無償3億ドル、有償2億ドルの合計5億ドルを植民地支配の賠償金として韓国に支払った。1ドル360円の時代なので、本当に巨額だった。
この日韓基本条約では「植民地時代のすべての問題が清算された」とされており、日本は、今後韓国からの請求権はいっさい生じないという立場を今も守っている。
一方、朴正熙は日本からの賠償金をインフラ整備の建設資金に当てた。今の韓国で経済成長の立役者と讃えられている朴正熙は、日本からの賠償金を有効に使って経済成長を促したのである。彼は、民主勢力を弾圧して多くの若い活動家を死刑に処した独裁者でもあったのだが……。

文=康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人2世。韓国の歴史や日韓関係を描いた著作が多い。最新の著作は『朝鮮王朝と現代韓国の悪女列伝』。

コラム提供:ロコレ
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2017.06.25