長く苦しい監禁生活
1614年、光海君の側近たちが送った刺客は、永昌大君がいた部屋のオンドルの温度を異様に高温にした。それによって、永昌大君は蒸された状態で命を断たれてしまった。実に、残酷な死に方だった。
我が子を失った仁穆王后は絶望した。それは、姉の貞明公主も同じだった。
そんな2人に対して、光海君の側近たちはさらにひどい仕打ちをした。仁穆王后の大妃(テビ/王の母)という資格を剥奪し、王女であった貞明公主を庶民に格下げにしたのである。さらに、2人を西宮(ソグン/現在の徳寿宮〔トクスグン〕)に幽閉してしまった。こうして、2人にとって長く苦しい監禁生活が始まった。
「もし自分がいなくなったら、貞明はどう生きればいいのか」
仁顕王后はそのことが頭を離れなかった。
苦難の生活の中で、母の仁穆王后は何よりも貞明公主のことだけを考えていた。そんな仁穆王后にとってわずかな救いとなったのは、貞明公主が書を愛していたことだった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
コラム提供:ロコレ
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