1603年、仁穆(インモク)王后は14代王・宣祖(ソンジョ)の子供を産んだ。王子ではなく、王女であった。この王女こそが貞明(チョンミョン)公主(コンジュ)だった。貞明公主に弟が生まれたのは、彼女が3歳のときである。仁穆王后が1606年に永昌大君(ヨンチャンデグン)を産んだのだ。
待っていたのは過酷な運命
宣祖は1608年に亡くなってしまった。
結局、貞明公主の異母兄であった光海君(クァンヘグン)が宣祖の後を継いで15代王として即位した。仁穆王后は「王の母」を意味する大妃(テビ)となった。
大妃といえば、王族の最長老である。朝鮮王朝は儒教を国教にしており、「長幼の序」を厳格に守る倫理観が強かった。
「よもや光海君が私を邪険にするはずがない」
仁穆王后はそう楽観していたのだが、それはあまりに甘かった。以後、仁穆王后と貞明公主と永昌大君は、過酷な運命にさらされていく。(ページ2に続く)