即位後の反乱
1623年に即位した仁祖だが、翌年には早くも「李适(イ・グァル)の乱」が起きている。
李适は、仁祖が光海君を追放するクーデターを起こしたとき、それに加わって功績をあげた武官だった。
しかし、彼は他の同志と比べて、十分な恩賞を受けられなかった。そのことに強い不満を持っていた。ここに伏線があった。
その後、李适は北方守備部隊の指揮官の1人となった。彼があまりに部隊の強化に熱心だったので、都の漢陽(ハニャン)では、「李适が謀反を起こすのではないか」という噂が広まった。
事実、その噂を利用して仁祖を揺さぶろうと画策した対抗勢力もあった。
いずれにしても、李适には謀反を起こす気などなかったのだが、自分が疑われたことに憤り、最後には本当に反乱を起こしてしまった。(ページ3に続く)