病気で偏屈になった王
貞明公主の母である仁穆王后によって、仁祖が起こしたクーデターに大義名分を持つことができたのは事実だ。
仁祖には、仁穆王后に大きな恩があるのだ。
それなのに、仁穆王后の娘を厳しく処罰したら、その影響はどこまで及ぶのか。
究極的にいえば、仁祖の王位の正統性すら危うくなってしまう。
そのことを崔鳴吉はわかっていたので、仁祖に翻意を促したのである。
病に苦しんで性格が偏屈になっているとはいえ、やはり仁祖は貞明公主に濡れ衣を着せては絶対にいけないのである。そのことが功臣たちの総意であった。
それにしても、貞明公主は母の仁穆王后を失ったあと、仁祖の豹変を受けて苦労の連続であった。
それを耐え忍んでいくのだから、やはり芯が強い女性であったのだろう。(ページ4に続く)