「コラム」第4回『華政(ファジョン)』に登場!光海君(クァンヘグン)の実像

 

仁祖の外交は大失敗

よほど済州島の水が合ったのか、光海君は余生を延ばして、1641年に亡くなりました。確かに、晩年は惨めでしたが、意外と人間らしい生活ができたのかもしれません。
享年は66歳。これは、歴代王27人の中で四番目の長寿でした。
最後に、光海君と仁祖の違いを1つだけ取り上げます。
光海君は二股外交で後金からの侵攻を防ぎました。一方、仁祖は後金を野蛮な国だと軽蔑しました。こうした態度が後金を怒らせ、朝鮮王朝は何度も侵攻を受けました。


1636年12月には清と国号を変えた後金が大軍で攻めてきて、仁祖は土下座をして謝罪しました。以後、朝鮮王朝は清に干渉され続けます。まさに、仁祖は外交で大失敗をおかしたのです。
政治的には、光海君のほうがはるかに有能だったといえるでしょう。

(終わり)

 

文=康 熙奉(カン ヒボン)
出典=電子書籍版『康熙奉講演録/朝鮮王朝で一番知りたい話』

コラム提供:ロコレ
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2017.01.16