「コラム」第9回 高麗王朝の歴史(前編)/康熙奉(カン・ヒボン)の「簡潔に読む!韓国の歴史」

典型的な仏教国家

王建が国号を高麗としたのは、強く高句麗を意識していたからだ。彼は、かつて朝鮮半島北部から中国大陸にかけて強大な国家を築いた高句麗の後継者を自認していたほどであった。

そして、王権を磐石なものにするために、王建は子孫が絶対に守るべき10の掟をつくった。それは、「仏教を重んじること」「風水地理を尊重すること」「長男が王位を継承すること」など具体的なことばかりであった。

その掟が守られたことで、高麗は典型的な仏教国家になり、僧侶の地位が高くなっていったのである。

さらに、優秀な人材を官僚に取り立てるために、高麗は中国の王朝にならって科挙の制度を取り入れた。そこまでは良かったのだが、優遇された文官は徐々に貴族化していき、高麗は極端な門閥が幅をきかせるようになってしまった。

しかも、軍事力を持った武人の地位は文官より低く、武人の不満が次第に大きくなっていった。(ページ3に続く)

2016.09.27