生きている両班
柳成龍は公職者として清廉な生活をした。彼が世を去るときは、葬礼をする金さえなかったという。彼は中央の漢陽(ハニャン/今のソウル)でも、官職を務めながら自分の家がなく、借家に住んでいた。引退後も、故郷に草庵を作って余生を送った。
これだけの人物なら、様々な誘いを受け、財物も届けられるだろう。しかし、柳成龍は乱れなかった。当時は当然とされた妾もいなかった。自分の人間性を磨き、誰にも恥じない生活を送ったのだ。
柳成龍は戦乱という危機の中で、国と民のためにすべてをかけられる強さを持ち、同時に子女を可愛がって大事にする優しさも併せ持っていた。まさに、朝鮮王朝最高の人物だった。
柳成龍の家門は今も続いている。
しかし、時は流れ、時代も変わった。
そんな中で、韓国人だったら誰もが知っている偉人を輩出した名家の家風は、今はどのようになっているのだろうか。
古い名家だというと何となく、「田舎にこもって世間を知らないまま、頑固に昔の古い掟にしばられている」と思ってしまうが、豊山柳氏は違う。柳成龍の教えである「学問を重んじて自己修養に励む」という姿勢は今も変わりなく続いている。
しかしながら、伝統の家門だといっても旧来の主張を繰り返す雰囲気はなく、新しいものを学んで、それを取り入れながらも根本を忘れないしなやかさを持っている。
このような家風のもとで、豊山柳氏は過去の中の名家ではなく、現代の生きている名家として、政界や財界を含めた韓国の社会全域で活躍している。
その中で特に知られているのがリュ・シウォンだ。名家の子孫である彼が、今もタンタラ(芸能人を見くびっていう俗語)と言われている芸能界に入ったのは、豊山柳氏の一族が変化を恐れない「生きている両班」だからであろう。
文=「ロコレ」編集部
コラム提供:ロコレ
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