ペ・ヨンジュン、イ・ビョンホン、チャン・ドンゴンと共に、かつて「韓流四天王」と呼ばれたのがウォンビンだった。2000年の『秋の童話』でブレークし、2002年には日韓合作ドラマ『フレンズ』で深田恭子と共演して日本でも人気を博した。彼の俳優人生を振り返ってみよう。
空白期間がいつも長い
ウォンビンは寡作だ。
これまで出演した作品がとても少ない。彼が大衆的に広く愛されるようになったドラマ『秋の童話』から数えると、大衆が知っている彼の出演作はドラマと映画を全部入れても一ケタだ。彼の場合は、とにかく空白期間が長すぎるのだ。
どんなスターでも長く活動しなかったら、ほぼ引退したと認識されやすい。移り変わりの激しい芸能界、その中でファンに愛されたり記憶されたりするのはほんの一部に過ぎない。ましてウォンビンは出演作も少ない。それは、ファンが彼を記憶するための素材が少ないということを意味している。とはいえ、ファンはウォンビンを待ち続けている。
ファンが彼を待っていた理由は何だろう。そして、そのファンの期待にウォンビンはどのように応えているのだろうか。
1996年、ケーブルテレビの第一放送の第3期公開募集タレントとして演技を始めたウォンビン。彼はデビュー初期から多作を避けてきた。2004年の映画『マイ・ブラザー』を最後に軍隊に入隊したが、怪我によって除隊。しばらく音沙汰がなかったが、2009年にポン・ジュノ監督の映画『母なる証明』で復帰した。そして、2010年の映画『アジョシ』で名演技を見せた。
『秋の童話』のイメージが強烈
ウォンビンは少ない出演作とは裏腹に、あまりにも様々な役を演じてきている。ここが特に重要である。
おそらく、多くの人々が持っているウォンビンのイメージは、トレンディ―で都会的なセンスというものだろう。
しかし、ウォンビンが都会的な男の役を演じたことは少ない。多くの人は彼がカッコいい役ばかり演じてきたように思っているが、そんな役は『秋の童話』を含む初期の2、3本だけだ。デビューと共に作られたイメージが、あまりにも彼の外見と似合うため、ファンは以後も同じイメージだけを記憶し続けてきたのだ。
そういう意味では、ウォンビンは外見が自分自身のハンディになる悲運の俳優とも言える。主役級として映画にデビューして以来、ウォンビンが演じてきた役は『ガン&トークス』『ブラザーフッド』『マイ・ブラザー』『母なる証明』など、大体は田舎臭くて子供のような男ばかりだった。
それにも関わらず、ウォンビンという俳優を語るとき、まずは都会的なイメージが浮かぶ。それはなぜなのか。彼が限定されたイメージを持つようになったのは、彼の出世作となった『秋の童話』での世間知らずの御曹司という役が強烈だったからだ。
愛する人に対して自分だけを愛してくれることを懇切に願う彼の姿は、洗練されていながらも、一方では母性本能をくすぐる“ウォンビンらしさ”を定義する基準となった。しかし、先にも言ったように、いかにもウォンビンらしい役を彼が演じたのは『秋の童話』だけである。
保護本能を刺激する存在
『秋の童話』以降、ウォンビンは洗練された役を避ける傾向があった。実際、『ガン&トークス』『ブラザーフッド』『マイ・ブラザー』などの映画では、ジャンルも役の性格も違う作品に出演して、新しい演技を見せようと絶えず努力してきた。
それでも、ウォンビンが演じてきた人物を注意深く観察すると、ある共通点を見いだせる。すべての役が“保護されている”ということだ。
たとえば、『秋の童話』のテソクの場合、ボンボンで愛のためなら純粋に突進する役だったが、どこか憐憫を思い起こさせる子供のような感じを持っていった。ウォンビンの映画デビュー作となった『ガン&トークス』でも、どこか抜けているキラーとして、恐ろしさよりかわいさを感じさせる末っ子の役を演じた。
また、大ヒットした『ブラザーフッド』でも、戦争という極限の状況の中で兄から守られる弟の役を演じたし、『マイ・ブラザー』でも喧嘩は強いが、むしろ弱い兄に慰労されて愛される弟の役に扮していた。
ウォンビンがそのように「弟」の役、誰かに見守られて保護される役を担ってきたのは、やはり、彼の外見が大きく作用したと言わざるをえない。まるで小鹿を思わせるように大きくて潤った目、どこか弱く見える繊細な顔の線、よく整えられた長い手と足……それらは誰が見ても保護本能を刺激するものだった。
(次回に続く)
文=朴敏祐(パク・ミヌ)+「ロコレ」編集部
コラム提供:ロコレ
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