「コラム」第6回 夏こそ行きたい!韓国南部の旅

DSCF1343珍島の海割れを伝える案内板

第6回/珍島の海割れ

 

韓国南西部の南海(ナメ)市からバスで珍島(チンド)へ向かう。バスは穀倉地帯をしゃにむに疾走した。日本でなら、乗っているバスがスピード違反で捕まるなんて考えられないが、韓国では十分にありうる。私も実際にそんな経験をしているが、珍道に向かうバスの飛ばしっぷりも、車体がきしんでうなりをあげるほどだった。

 

海面が渦を巻いている

日本よりずっと狭い韓国、そんなに急いでどこへ行く、という気もするが、最も多く使う言葉が「パルリ(早く)」である国だけに、のんびり走っていられないのだろう。

穀倉地帯が尽きると、目の前に大きな橋が見えてきた。

1984年に完成した珍島大橋である。長さは500メートル。下の海をのぞいたら、潮の流れが速いのがよくわかった。

韓国本土と珍島の間の海は、海流が複雑なことでよく知られており、場所によっては海面が渦を巻いている。「海が鳴く」という意味合いで「鳴梁(ミョンリャン)」と呼ばれているが、潮の速さをうまく利用したのが、救国の英雄とされている李舜臣(イ・スンシン)である。

彼は、豊臣軍が朝鮮半島に押し寄せた文禄・慶長の役のとき、亀甲船を使って日本の海上勢力を駆逐したことで有名だが、特に「鳴梁」で手腕を発揮した。わずか12隻の亀甲船で相手の130隻を撃破したという記録が残っている。地元の地形を熟知していたことが、世界の海戦史上で例がない圧倒的勝利の原動力となった。

橋を渡りきって、いよいよ珍島に入った。

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韓国版の忠犬ハチ公

珍島は韓国で済州島(チェジュド)、巨済島(コジェド)に次いで3番目に大きい島で面積は430平方キロメートル。日本でいえば、種子島と同じくらいの大きさである。

道の両脇に「珍島犬」と大きく書かれた看板がやたらと見えるようになった。

珍島犬は天然記念物第53号に指定されていて、国によって保護されている。もともと朝鮮半島に古来からいた犬の種族で、珍島が島であったために、その純粋な血統が残されたのである。

賢い犬で、耳は三角形でつんと尖りながら前にやや傾いている。頭は八角形に近く、尾は短くて太いが、力強く反り返っている。小柄なわりに精悍な体型をしており、飼い主に忠実なことでもよく知られている。

なにしろ、珍島から大田(テジョン)に売られた白い珍島犬が、飼い主を慕って220キロの距離を越えて帰ってきたという実話があるほどだ。その犬が死んだとき、村人たちは忠犬の死を悼み銅像まで建てたという。まさに、韓国版の忠犬ハチ公だ。

私も犬好きだったら、「珍島犬」の看板が出ている店に行って、忠犬の相が顔に強く出ている犬を探すところだが、幼い頃に兄が犬に噛まれて家中が大騒ぎになって以来、私も敬遠する習性がある。

小犬が寄ってくるだけでも腰が引けるほどだから、忠犬の飼い主には到底なれない。ただ漠然と看板を見ているうちにバスターミナルに着いた。

バスを下りて周囲を見渡しても、見えるのは山ばかりだった。当初、バスターミナルは島の一番突端の位置にあると予測していた。島を縦断して行けるところまで行くのがバス路線の使命であると思っていたからだ。

しかし、海が見えないどころか、潮の香りさえしない。意外にもバスの終着地は島のど真ん中であった。

 

DSCF1341海割れの海岸には屋台が出ていた

 

料金メーターはどこ?

珍島に来たからには、有名な「海割れ」の海岸に行かなければならない。

タクシーに乗った。

不思議なことに、運転席に料金メータが見当たらない。

<まさか白タクに乗ったわけではないよな>

そう思いながら、もう一度、バスを下りたあとの自分の行動を振り返ってみた。間違いなく、タクシー乗り場を確認したうえで、そこからタクシーに乗っている。なのに、なぜ料金メーターがないのか。

<着いたときの請求料金次第ではひと悶着あるかも>

私は一応、心の準備をしていた。

15分くらいで目当ての海岸に着いた。海沿いの道路には数軒の屋台が出ていて、ポツポツと観光客の姿も見えていた。

タクシーを下りるとき1万5000ウォン(約1500円)を請求され、とっさに高いと思った。

「メーターがないじゃないですか」

そう言うと、50代の運転手さんは表情も変えずに、「いや、ちゃんとあるよ」と足元を指差した。

身を乗り出して見ると、運転手さんの足元に「1万5400ウォン」と表示された料金メーターが鎮座していた。

まさか、と思う位置に料金メーターがあって意表をつかれた。しかも、運転手さんは400ウォン負けてくれていた。意外といい運転手さんだったのかもしれない。

 

DSCF1337年老いた女性と虎をモチーフにした石像

 

老女と虎の伝説

目の前には、広々とした海が広がっていて、海沿いの屋台からはイカを焼く香ばしいにおいが漂っている。

案内表示によると、沖合に茅島(モド)があり、そこまでの2・8キロメートルが干潮時に人が歩いて渡れるような40メートル幅の陸地になるということだった。

もともと韓国では有名だったのだが、1975年、当時の駐韓フランス大使のピエルランデ氏がこの地で感激し、「私は見た、東洋のモーセの奇跡を!」という感想をフランスの新聞に寄せて、世界的にもよく知られるようになった。

茅島がよく見える位置に立つと、そこに年老いた女性と虎をモチーフにした石像が立っていた。案内板には、この場所にちなんだ伝説が次のように書かれてあった。

ここは、もともと回洞里(フェドンリ)という地名なのだが、その昔、虎がひんぱんに出没するので虎洞里(ホドンリ)とも呼ばれていた。

虎に襲われてばかりいて困った村民たちは、いかだを作って対岸の茅島に逃れようとした。しかし、ハルモニ(おばあさん)のポンさんだけは運悪く珍島に残されてし

まった。家族と引き離されてしまったポンさんは、毎日のように龍王様に「家族と会わせてください」と祈りを捧げた。

ある日、夢の中に龍王様が現れ、「明日の朝、海辺に出てみなさい」と言った。翌朝、お告げの通りに、珍島と茅島を結ぶ海の道ができていた。村の人は喜んで茅島か

ら珍島までポンさんを迎えに来たが、彼女は「私の祈りによって海が開き、家族にも会えたから、思い残すことはない」と言って、その場で力尽きてしまった。

村の人たちはポンさんのおかげで海が割れたと特別な感慨を持つようになり、以後は、海の道を渡れば願いが叶うと信じられるようになった。

どうもしっくりこない伝説である。年老いたポンさんだけを見捨てて家族や村人が茅島に逃げたのも儒教社会にあるまじき不孝だし、念願の海が割れたのにポンさんがその場で力尽きてしまったのも悲しすぎる。やはり、「海が割れてようやく家族と会えました。そして、その後も幸せに暮らしました。おしまい」という伝説にしてほしかった。伝説に注文をつけてはいけないけれど……。

 

DSCF1339海の沖に見える島が茅島

 

三つのことを自慢するな

ふと見ると、屋台の陰に観光案内所がポツンとあった。といっても、小さなプレハブの小屋だ。海側に向いた小さな窓も閉められていて、中に人がいる気配はしなかった。それでも、念のためと思って声をかけてみると、窓が開いて40代の女性が姿を現した。パーマをかけた髪と、派手に塗った赤い口紅。どこから見ても、隙がないほど典型的な韓国のアジュンマ(おばさん)だ。

観光地図をもらいながら話し込んだ。アジュンマは大変親切な人で、日本から来たと言うと大いに喜んでくれた。

「最近は日本からも多くの人が来るようになったわよ」

「やっぱり、『珍島物語』が日本でヒットしたからですね」

「ホントにありがたいわ。歌っている歌手は、なんて言ったっけ?」

「天童よしみ、ですか」

「そう、そう。そんな名前だったわ。感謝したいわね」

アジュンマによると、海割れは年に何度か起きるそうだ。

しかし、明け方や深夜では多くの人が集まれない。その点、旧暦の2月下旬か3月の初めに起こる海割れは夕方なので、人が集まりやすい。新暦でいえば4月中旬か下旬に当たるという。2時間ほど海が割れて大勢の人が茅島まで歩いて行けるということだ。

今は海が割れていない。茅島も海の先に見えている。目を閉じて、海が割れている場面を想像するしかなかった。

帰りに乗ったタクシーの運転手さんは60代だと思われるが、とても感じがいい人で、珍島の郷土自慢を盛んに語った。

「珍島では『三つのことを自慢するな』と言われているんだ。一に書、二に絵、三に歌。珍島の人はこの三つが得意なので、たとえ巧くこなしても自慢にならない、というわけだ。特に、珍島のどの村にも名人がいるのが歌だよ。渋い声のアジュンマが有名な『珍島アリラン』を披露してくれるよ」

朝鮮半島の民謡を代表する「アリラン」は、地方ごとに独自の曲があるが、「珍島アリラン」は特に有名である。

残念ながら、名人に会えなかったので、テープの曲で満足するしかなかったが……。

(第7回に続く)

 

文=康 熙奉(カン ヒボン)

コラム提供:ロコレ
http://syukakusha.com/

出典=「韓国のそこに行きたい」(著者/康熙奉 発行/TOKIMEKIパブリッシング)

2016.08.10