儒教が国教であるがゆえに
1392年から1910年まで続いた朝鮮王朝。この時代は儒教が国教だった。
儒教は、人間の序列を堂々と認める。
年下より年上、無学より学識者、そして、女より男が上、というわけだ。
その結果、朝鮮王朝時代には男尊女卑が貫かれた。
朝鮮王朝の前の高麗王朝(918~1392年)では、国教が仏教だった。
仏教には平等思想があり、高麗王朝時代には女性の権利も相応に守られていた。
しかし、朝鮮王朝に移ってから女性の立場はガラリと変わった。
父親が家族の中心となる家父長制度が厳格に守られ、女性の身分は低くなって出産・育児・家事に専念させられた。
学問をおさめる機会もなかった。しかも、女性は全国規模の官僚登用試験である科挙の受験資格もなかった。
この時代の女性を象徴する言葉が「三従之道」「出嫁外人」「七去之悪」である。
順に説明しよう。
「三従之道」は、「子供のときは親に従い、結婚したら夫に従い、老いたら息子に従う」ということだ。
女性は「従うこと」でしか生きる術(すべ)がなかった。
(ページ3に続く)