騒動がおさまる気配を見せないユチョン問題。所属事務所はマスコミに対して強い不信感を表明したのだが、感情的な対応は、むしろ逆効果ではないだろうか。明らかにマスコミを敵にまわすやり方であり、今後に禍根を残すことになりそうだ。
「大人の対応」がほしかった
ユチョンの所属事務所は、6月15日の午前、次のようにコメントしている。
「犯罪者のレッテルを張られ、無分別なメディア裁判が始まりました」
「虚偽の事実や拡大解釈が乱れ飛ぶ記事があふれ、たった1日で我々は回復不能なイメージ失墜と名誉棄損にあいました」
「今後もメディアを通して事件の是非を明らかにするつもりはなく、警察の捜査結果が出たときに立場を申し上げます」
コメントには、マスコミに対する不信感が込められている。
しかし、感情的にマスコミを批判するのは、この問題の対処の仕方としては、いかがなものだろうか。
「本来、マスコミ報道というのは、こういうものだ」
それは、超人気者のスターを抱えている事務所であれば、百も承知のはず。むしろ、もっと「大人の対応」をすべきだったのではないか。
戦略的なマスコミ対応が必要
ユチョンの問題は、かならず社会服務要員(2013年までは公益勤務要員と呼ばれた)の制度そのものに矛先が向けられていく。
人気スターの個人的なトラブルだけでは済まず、兵役の根本を問いただす問題に発展していく可能性が高いと私(康熙奉〔カン・ヒボン〕)は思っている。
要は、「兵役中の夜中に遊びに出てもいいのか」という議論がスタートとなり、社会服務要員の実態にまで問題が拡散していくだろう。
それを見据えたなら、所属事務所はマスコミを批判する前に、まずは世間を騒がせていることを謝罪すべきだった。
そのうえで、今後予想される批判を最小限にとどめるために、マスコミを味方に取り込んだほうが良かった。
それなのに、謝罪の前にマスコミ批判が出た。記者たちの心証を悪くすると、何倍にも報復される。所属事務所は、それがわからなかったのだろうか。
確かに、最近の韓国では、ネット・メディアのゴシップ記事は「イエロー・ジャーナリズム」と呼ぶしかないレベルである。多くの芸能人が迷惑をこうむっているのは事実なのだが……。
意味のある「あの儀式」
今回のユチョン問題は、個人の枠を超えて兵役という社会制度にまで波及することが目に見えている。
所属事務所は感情的にならず、戦略的にマスコミを味方につける態勢を築いておくべきだった。
たとえ話をしよう。
世間を騒がせた東京都知事の公私混同疑惑にしても、初動ミスが致命傷になっている。問題が発覚したとき、「ルールにのっとっている」と強気な弁明をしたが、あのときに「誠に申し訳ありません」と真摯に謝罪していれば、果たしてどうだったのか。その後の展開は、かなり違ったものになったのではないか。
ナッツ・リターンの事件にしても、当事者の財閥令嬢は、極端にやつれた姿で国民の前で謝罪した。
韓国社会では、「あの儀式」が絶対に欠かせない。反省して憔悴しきっている、という姿を国民の前にさらすことが、まずは許しの大前提になるのである。
初動ミスがどう響くか
ユチョンの所属事務所は「警察の捜査結果が出たときに立場を申し上げます」と明らかにしている。
ただし、警察の捜査結果がいつ出るかはわからない。
それだけに、警察の捜査結果を待つのではなく、世間を騒がせていることを所属事務所の立場で謝罪することが先決だった。
そのうえで、ユチョンの謝罪をどのように行なうかを戦略的に検討しておくべきだろう。間違っても、「当方に非はない」という態度を見せてはいけないのだ。
問題は、社会服務要員の制度そのものに波及していく。もはや、「個人の身の潔白」というレベルを超えて、国民が注視する兵役問題の領域に入る。それだけに、ユチョンもマスコミを味方につけておきたかったのだが……。
所属事務所の初動ミスがどう影響するか。
致命傷になる可能性も否定できない。
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文=康 熙奉(カン ヒボン)
コラム提供:ロコレ
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