第2回 俳優になることを決意
内向的な転校生
ペ・ヨンジュンは小学5年生のとき、明逸(ミョンイル)小学校に転校した。内向的だった少年にとって、この転校はさらに心を閉ざすきっかけになってしまった。
なにしろ、転校してすぐに厳しい儀式が待っていた。それは子供の世界の新参者がかならず受けなければならない洗礼でもあった。
ある女の子が転校生のペ・ヨンジュンに興味を持ってきたので、彼も仲良く話を交わした。しかし、その女の子が好きな男の子と仲間からペ・ヨンジュンは放課後に呼び出され、鉄拳を受けた。
もちろん、ペ・ヨンジュンもただやられていたわけではない。必死に抵抗を試みて反撃を加えたが、なにしろ相手は3人でかなうわけがなかった。見るも無残にボコボコにされてしまった。
内向的な転校生。クラスになかなかなじめなかったのは仕方がなかった。小さないじめはしょっちゅうだったが、ペ・ヨンジュンは必死に耐えた。辛抱強い性格はこのときに培われたのかもしれない。
ようやく小学校を卒業したペ・ヨンジュンは、培材(ペジェ)中学に入学した。この中学は韓国中に知られる超名門。1948年に韓国が建国されたときの大統領だった李承晩(イ・スンマン)もこの中学の出身者である。各界の大物を数多く輩出しているだけに、ペ・ヨンジュンの両親も息子の入学をことのほか喜んだ。
実際、ペ・ヨンジュンはこの中学のときが勉強に一番集中できた。なにしろ、なんにでも「なぜ?」と疑問を持つタイプである。おもちゃを分解したり組み立てたりして夢中になって遊んでいた子供は、やがて数学の問題集を一つ一つ解いていく喜びを知るようになった。
初恋に胸を焦がしたが……
ペ・ヨンジュンは成績も良く、同級生からは尊敬のまなざしを向けられ、先生からも一目置かれるようになった。こうなると、いじめてくる奴もいない。ペ・ヨンジュンにとって中学時代は有頂天になってもおかしくないほど充実した時期だった。
しかし、何の悩みもなくバラ色に輝いていた日々を一変させる出来事が起きた。淡い初恋である。
彼女は長い髪のかわいい少女だった。出会ったのは図書館。いつも同じ席で勉強をしていた。日ごとに彼女の存在が気になったペ・ヨンジュンは、何度話しかけようとしたことか。せめて名前だけでも知りたかった。
けれど、どんなに思いが募っても、いつまでも遠くから見守っていることしかできなかった。
「手紙だけでも渡したい……」
ラブレターを何度も書こうとしたが、結局は渡せなかった。恥ずかしがり屋で臆病な自分にこのときほど腹が立ったことはなかった。
彼女が大好きな自分。
でも、近づくことさえできない自分。
恋とはなんと残酷なものだろうか。
寂しさと情けなさでペ・ヨンジュン少年の心はすさむ一方だった。
数カ月後、彼女は急に図書館に姿を現さなくなった。
名前さえ知らないので捜す手立てもない。こうしてペ・ヨンジュンの初恋は片思いのまま終わった。
高校に進学
人は恋をすることによって、まるで別人格のように生まれ変わることがある。ペ・ヨンジュンがまさにそうだった。
勉強ばかりしていても人間らしく生きられない、と彼は悟った。現に、好きな人がいても声さえかけられない……。その痛手がペ・ヨンジュンに「もっとバイタリティを持たなければ」という示唆を与えた。
漢栄(ハニョン)高校に進学したペ・ヨンジュンは、勉強にあまり熱が入らなくなってしまった。
世の中にはもっと面白いことがたくさんあると思えたし、青春を謳歌するのは今しかないと熱く燃える考えを持つようになった。
遊ぶ仲間を見つけては、みんなで出歩いてばかりいた。夜遊びもしたし、夏休みになると友人たちとフラリとキャンプに行ってしまうこともあった。また、スポーツにも打ち込んだ。もともとペ・ヨンジュンは6歳のときからテコンドーを続けていた。
「男は強くなければならない」
父のそういう方針のもとで始めたのだが、テコンドーは内にこもりがちなペ・ヨンジュンを社交的にする手段の一つにもなっていた。
とにかく、勉強以外にやることが多すぎた。
もちろん、両親に心配をかけて申し訳ないと思ったし、自分が模範的な息子でないということは自覚していた。
しかし、彼は自分なりに考えて行動したつもりだ。
大学受験に失敗
大人からは問題があるように見えても、ペ・ヨンジュンは強い信念を持っていた。どんな結果になろうとも、かならず自分で責任を負う、と……。
そういう意味でペ・ヨンジュンは悔いなく高校時代を過ごした。
けれど、手痛いしっぺ返しが待っていた。檀国(タングッ)大学の建築工学科を受験したが失敗してしまった。
なんといっても、ベビーブーム世代の一員である。大学はどこも競争率が非常に高く難関ばかりだった。しかも、人気の高い建築工学科だけに、合格は非常に難しかった。
浪人生活を余儀なくされたペ・ヨンジュンだが、しばらくは勉強が手に付かず、地方をブラブラと放浪して歩いた。
自分を鍛えなおしたくて、山寺にこもったこともあった。入山して修行するというのは韓国ではよくあることなのだ。
寺での生活は自分を見つめなおすのに良い機会を与えてくれた。司法試験の準備に没頭している先輩たちの姿も恰好の刺激になった。ペ・ヨンジュンは中学時代のガリ勉時代を思い出し、もう一度チャレンジする気概を持った。
そして、志望分野も法学に変え、猛勉強をして2度目の大学受験に望んだが、残念ながら望みをかなえることはできなかった。
さすがに、もうブラブラしているわけにはいかない。もう一度浪人をするつもりもなかった。
大学生になれなかったので、違う道を探さなければならない。
といって、さしあたり自分がやってみたいことは特になかった。そんなとき、ふと、小さいときに友達から言われた一言が甦ってきた。
映画界で働き始めた
「俳優になれるんじゃないか」
その言葉を思い出したのは、まさに宿命としか言いようがない。「これだ!」と思い、もう何も他のことに目が向かなくなった。
母は反対したが、父は認めてくれた。
「お前の人生だ。責任は自分で持て」
その力強い言葉が背中を押してくれた。
やりたいことは決まった。あとは、どうやって方法を見つけていくか、である。
とにかく、映画の世界をのぞいてみようと思った。裏方でもなんでもいいから映画界で働いてチャンスを待とうと決めた。
運良く映画会社の下働きができるようになった。そこで、撮影現場の交通整理を手始めとして、頼まれたことには何でも最善を尽くした。
確かに、映画の制作システムを学ぶのにはよかったが、俳優としての展望は開けなかった。そこで、その会社を退職し、マネージメント企画会社でエージェントの活動を始めたが、それもやめて、結局は演技学校に通うことにした。
しかし、その演技学校もすぐにつぶれてしまい、ペ・ヨンジュンは将来への展望をまったく開けないままだった。
幸いに、閉鎖された演技学校の演習室はずっと空室のままだった。ペ・ヨンジュンは弁当持参でそこへ通い、仲間と独学で演技の勉強を続けた。
苦しかったが夢があった。
「コンビニのような俳優になりたい」
それが当時のペ・ヨンジュンの信条だった。
監督が望む通りの便利な俳優になるのがペ・ヨンジュンの願いだった。そのために必死になって空室で演技の練習に没頭した。
先の展望が見えない不安定な時期だったが、夢があったから耐えていくことができた。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
コラム提供:ロコレ
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