『テバク』は4月19日の放送で第8話を終えた。全24話なので3分の1を終えたことになる。これから物語は中盤に入っていくのだが、ここで根本的なことを考えてみたい。それは、『テバク』という時代劇におけるリアリティの問題なのである。
カリスマと呼べるチェ・ミンス
『テバク』のキャスティングが発表されたとき、チャン・グンソクの主役決定と同時に驚かされたのは、チェ・ミンスとチョン・グァンリョルが共演するということだった。
しかも、チェ・ミンスが19代王・粛宗(スクチョン)、チョン・グァンリョルが反乱を主導した李麟佐(イ・インジャ)に扮するという。「名優」と称賛しても誰もが納得するような演技派俳優が、歴史上で傑出した人物を演じるのだから、期待は増すばかりであった。
実際、『テバク』が始まると、チェ・ミンスとチョン・グァンリョルの演技に見入ってしまった。
「うますぎる!」
それが率直な感想だ。
チェ・ミンスは何かとトラブルを起こすことがあるが、演技に関していうと、韓国芸能界のカリスマと言ってもいいのではないか。今回も粛宗を演じるときに「癖がありすぎる声」と「傲慢と臆病を交互にかもしだすような表情」で、他の俳優を圧倒している感があった。
彼に粛宗の役を承諾させた時点で、『テバク』はすばらしい宝を得たと思わずにはいられない。
李麟佐(イ・インジャ)に扮したチョン・グァンリョル(写真/韓国SBS『テバク』公式サイトより
間が絶妙なチョン・グァンリョル
チェ・ミンスと同様に評価が高いのがチョン・グァンリョルである。
1999年の『青春の罠』から彼の演技に注目してきたのだが、今回のチョン・グァンリョルはさすがの貫禄を見せている。
なんといっても、間(ま)がいい。相手のセリフを受けて反応するときの一拍置いた絶妙な喋りだしに感心する。
ベテランだから当然といえばそうなのだが、やはりチョン・グァンリョルの演技には人間の内面が垣間見えるような深さがある。今回の李麟佐の役においても、彼の他には誰が適任なのかが思い浮かばないほどだ。
このように、ベテランの俳優を論じたあとで、他の俳優に触れようとすると、なんとなく躊躇するところがある。
たとえば、淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏を演じるユン・ジンソと、タムソに扮したイム・ジヨンについて……。
『テバク』のプロデューサーは、どのような意図でこの2人の女優を選んだのだろうか。そこのところがよくわからない。
ユン・ジンソについて言えば、賭博で身を崩した亭主を必死に支えようとしたときは精一杯の演技を見せていたのだが、粛宗の側室になってからの演技には疑問が残る。特に、テギルが生きていたと知ったときの表情だ。
自分が産んだ息子が実は生きていたのである。母親として、これ以上の喜びが他にあろうか。しかし、ユン・ジンソはその場面をさらりと演じたような気がしてならない。
ヨ・ジングの演技がとても良くなった(写真/韓国SBS『テバク』公式サイトより)
目に力があるヨ・ジング
もう1人の女優のイム・ジヨンだが、韓国でかなり批判されている。特に、キャスティングに問題があったという意見が多い。
実際、剣のさばきも、達人にはとうてい見えない。表情もただ暗いだけで、陰陽がない。陰の部分は「陽」を強調しないと単調になってしまうのだが……。
ユン・ジンソにしてもイム・ジヨンにしても、前半は演技を模索している時期だったのかもしれない。中盤以降は演技の幅を広げてドラマをいい方向に盛り上げてくれることを期待したい。なんといっても、朝鮮王朝を舞台にした時代劇は、女優陣の活躍が不可欠だからだ。
一方、英祖(ヨンジョ)に扮したヨ・ジングはどうなのか。
彼は、登場し始めたときに不運な場面が多かった。典型的なのは、泥酔する演技をしなければならなかったことだ。
まだ未成年のヨ・ジングは、酒に酔った経験がなかったはずだ(もしあったら、芸能人として大問題になってしまう)。それにもかかわらず、子役から脱して大人の俳優としてスタートした彼は、酒に酔った演技を何度もしなければならなかった。見ている人には船酔いにしか見えなかったのだが……。
ただし、天才子役と言われただけのことはある。第7話で李麟佐と対決する場面でヨ・ジングは見違えるような演技を見せた。
目に力があった。また、自分の境遇に対する怒りもよく表現されていて、ベテラン俳優を前にしても臆するところがなかった。結局、中盤以降のヨ・ジングの演技から目が離せなくなった。
制作発表会で並々ならぬ決意を見せたチャン・グンソク(写真/韓国SBS『テバク』公式サイトより)
厳しい修業の場面なのに……
主役はチャン・グンソクである。『テバク』はチャン・グンソクのためのドラマと言っても過言ではない。それほどに彼の存在はドラマの成否を左右する。
とはいえ、特別扱いはどうなのだろうか。それをチャン・グンソクが望むとは思えないのだが……。
一例を挙げると、第8話で見せた「厳しい修業の場面」である。
最強の師匠であるキム・チェゴンに弟子入りしたテギルは、本当に厳しい修業に明け暮れる。剣を持つ手は血がにじみ、修業がどれほどテギルの身体を痛めつけているかが画面を通して見えていた。
しかし、あごの髭はきれいに剃られている。見すぼらしい服を来て、髪は乱れているのに、顔はきれいなままなのである。
そこにどんなリアリティがあるのだろうか。
放送前から演出のナム・グォン監督は、「チャン・グンソクに髭は付けない」と語っていた。「彼に髭は似合わないから」という理由だったが、ドラマで必要な場面では、むしろ不精髭があったほうが良かったのではないか。
第8話は『テバク』の転換点となる重要な回だった。それまで相手に痛めつけられてきたテギルが、厳しい修業に打ち込んで生まれ変わろうとしていた。
ドラマはここで、テギルが変わっていく過程をはっきりと見せる必要があったのではないか。
それでこそ、朝鮮王朝で一番のイカサマ師になったときに視聴者も「あれだけ厳しい修業に耐えたのだから」と納得できるのだ。
多くのファンが『テバク』の成功を祈っている(写真/韓国SBS『テバク』公式サイトより)
結果は後からついてくる
きれいな顔のままでいたら、リアリティが失われてしまう。創作劇だからいいというわけではない。歴史に基づいてストーリーが作られている『テバク』では、ここぞというときにはリアリティが必要だ。
それでこそ、物語全体が引き締まる。
制作発表会で笑わなかったチャン・グンソクは「過去を捨てて新しい自分になる」という決意を見せた。その姿は頼もしく見えた。
それだけに、厳しい修業の場面では、不精髭の彼が一心不乱に努力する姿を見たかった。チャン・グンソクもそれを望んでいたのではないだろうか。
意外と、不精髭が似合ったかも。いや、それを似合うように見せるのも彼にとってのリアリティなのである。
周囲が気をつかいすぎてはいけない。生まれ変わろうと欲する者は、自ら卵の殻を破る力を持たなければならないのだ。
『テバク』は、いよいよ勝負の中盤に入る。父の復讐を誓ったテギルがどんなふうに成長していくのか。
それは、俳優チャン・グンソクの変化につながることだ。
視聴率も気になるが、それよりも大事なことは、制作陣と俳優たちが最後まで持てる力をすべて出し切ることだろう。結果は後からついてくる。なによりも、チャン・グンソクの変身を楽しみたい。
(文=康 熙奉〔カン ヒボン〕)
コラム提供:ロコレ
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