軍事境界線のすぐ南側
超新星のゴニルが4月26日から兵役入りするが、入隊するのは江原道(カンウォンド)の鉄原(チョロン)にある訓練所という発表があった。これは、陸軍・第3師団に入ることを意味している。
私はかつて取材で鉄原に行ったことがある。それは2000年の春のことで、『こんなに凄いのか!韓国の徴兵制』という本を執筆するためだった。
ゴニルが鉄原郡にある第3師団に入隊するにあたり、鉄原郡がどんな所なのかを紹介したい。
私が行ったのは16年も前のことだが、今も当時とさして変わっていないと思われる。軍事境界線のすぐ南にある土地で、住民の立ち入りが極端に制限されている地域だからだ。普通の場所のように変貌する余地がないのだ。南北が厳しく対峙しているかぎり、その状況は変わらないだろう。
私が鉄原郡を訪ねたときは、北に向かう列車で行けるところまで行った。乗車して行けたのは新炭里(シンタルリ)という駅までだった。
そこから専用のバスに乗り換えて、軍事境界線に向かった。途中、何度も検問所を通過した。ときには、警備の軍人がバスの車内にまで見回りにやってきた。いやでも緊張感が高まる。
車窓からは、鉄原郡の風景が見えた。山肌が露出し、平地も荒れていた。開発ができないのだから、それも仕方がなかった。
朝鮮戦争で街は廃墟
軍事境界線の手前でバスを下りて、そこから展望台で北朝鮮の方向を望んだ。
軍事境界線の南側(韓国側)には、腰の高さの壁で囲まれた円形の射撃台がところどころにあった。
北から越境してくる兵士がいれば、韓国軍の兵士が射撃台から狙撃するのであろう。生々しい戦場の雰囲気が漂っていて、緊迫感が胸に迫ってきた。
韓国と北朝鮮を分ける軍事境界線の中でも、その南側の中央部に位置しているのが鉄原郡である。その鉄原郡を守備しているのが第3師団というわけだ。
鉄原郡は、朝鮮戦争の際に激戦地となった。この地での攻防が戦局を大いに左右したのである。
軍事境界線を見たあとで、鉄原の旧市街地を見学したが、完全な廃墟になっていて人が住んでいなかった。朝鮮戦争で街がすっかりなくなっているのである。それは、戦争のむごさを物語っていた。
鉄原郡が戦略的に重要な場所、というのは今も変わらない。それゆえ、韓国陸軍の精鋭部隊が配置されている。
それが第3師団なのである。
人間には適応力がある
今でも、鉄原郡の荒涼とした風景を思い出す。「荒涼」と表現したのは、人が住んでいない地域が多いということで、地方でよく感じるような「ぬくもり」がなかったからである。
こういう地域で兵役をつとめるというのは、タフな精神力が求められるかもしれない。ただでさえ、兵役に入ると社会から孤立してしまったという疎外感を持つが(兵役経験者の多くがそう語っていた)、鉄原郡にいると、一層その気持ちが強くなるだろう。
しかし、人間には適応力というものが備わっている。海兵隊で厳しい訓練に明け暮れた俳優のヒョンビンもこう語っていた。
「1人取り残されたような状況から、どう抜け出すか。心の準備はしてきたつもりですが、大変でした。でも、人間は状況や社会に適合できる動物だというじゃないですか。私もいろいろな状況に対応できるようになり、軍隊という囲いの中で何かを少しずつ会得しました」
実際にそこで軍務に励めば、芸能界の先輩であるヒョンビンの言葉に同意できる日が、ゴニルにもきっとくるに違いない。
どこで過ごしても、21カ月の兵役が待っている。鉄原郡の冬は特に厳しいが、その寒さに耐えることで得られるものも多いはずだ。それが、ゴニルが芸能界に復帰したときの強力な糧になる。
(文=康 熙奉〔カン ヒボン〕)
コラム提供:ロコレ
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