「コラム」サムスンの成長神話(後編)

1997年の経済危機を克服したサムスン電子。5年後の2002年の決算は、世界を驚かせる黒字幅となった。前年と比べて売上高を25%も伸ばして、総額で40兆5115億ウォン(約4兆512億円)に達していた。

時代は変わる

「世界的にIT事業が不振に陥る中で、信じられない数字だ」
アメリカや日本の同業者が驚くのも無理はなかった。サムスン電子の2002年の純利益は前年の2・4倍に達する7兆518億ウォン(7052億円)で、世界有数の企業も太刀打ちできない高収益をあげたのである。
サムスン電子の主要部門は、半導体、情報通信、デジタルメディア、生活家電だが、すべての部門で安定的な黒字を計上し、磐石の企業体質を示した。この中でも、半導体と携帯電話の収益率が凄まじかった。
かつて半導体分野で世界を席巻した日本の名だたる企業が、そのお家芸からの撤退や縮小の憂き目を見た。そんな状況にもかぎらず、半導体部門でサムスンは突出した収益をあげた。
まさに「時代は変わる」である。
日本の半導体メーカーはメモリー(パソコンの中でデータを記憶したり読みだしたりする部分)の生産では1980年代半ばから世界のトップを走っていて、サムスンも1990年代の初めに技術料を払ってでも日本の企業と提携を結びたいとやっきになっていた。しかし、日本のどの企業もサムスンの申し出を門前払いした。

その屈辱は痛手だったが、逆にそれがバネになった。
サムスンはアメリカで半導体に関わる技術者や研究者を大量にスカウトし、「日本を絶対に追い越す」をスローガンに企業が一丸となって新しい技術の追求に取り組んだ。その成果が、日韓の逆転現象を生んだ。
それ以後も、サムスンは大胆な投資と集約的な研究・量産システムを両輪として果敢に突っ走った。
何よりも、スピードが売りだった。素早く需要動向をつかんで短期間に開発から量産にもちこむ速さは他の企業では真似ができなかった。ここにも、意思決定から行動までが早い韓国人の特性がよく現れていた。
半導体で大成功をおさめたサムスンが、次の基幹商品として狙ったのが携帯電話だった。携帯電話は最先端技術の結晶ともいえる商品だが、どの基幹部品に関してもサムスンは高い技術力をもっていた。絶対に成功するという確信をもって、総帥の李健熙(イ・ゴンヒ)は携帯電話事業に参入した。
しかし、当初は不良品に悩まされ、このままではサムスンのブランド名に大きな傷がつくのも間違いなかった。


すると、李健熙は不良品が出た機種を15万台も工場の一角に積み上げ、社員が見守るなかで一気に燃やした。
「これが今の自分たちの実力だ。こんなことが二度とあっていいのか」
工場に李健熙の檄が響いた。
自分たちが生産した商品が無残に焼かれる姿を見て、社員は誇りを取り戻すために何をすべきかを肝に銘じた。
サムスンのその後の飛躍はめざましく、携帯電話で世界シェアを拡大した。
結局、サムスンはいかにして「世界のブランド」になったのか。
それは、商品開発でも「速さは美徳」という概念を徹底させ、消費者のニーズを素早くつかんで機能に生かし、大ヒット製品をタイミングよく生み出せたからだ。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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