ソウルは、どこでも路上販売が盛んな街である。人が集まれば、そこに臨時の店ができて、呼び込みの声がこだまする。食べ物の露店が特に多いが、その他にも服、カバン、CDなどの定番商品が路上の台に積み重なっている。時間が余ったときには、そういう露店を見てまわるのも楽しい。
地下鉄の車内の売り子
ソウルで物を売る人々を見ていていつも感じるのは、商魂がたくましいということ。
「これでメシを食っているんだ」
売る側に、生活感まるだしの迫力がある。
冷やかしのつもりが、用もない物をつい買ってしまうのも、売る側に「何がなんでも!」という迫力があるからだ。
客は、商品だけでなく、心意気を買うこともよくあるのだ。
路上ではないが、地下鉄の車内でも、売る側はさまざまに工夫を凝らす。
雨がポツポツと降り始めたと思って地下鉄に乗ったら、もう車内に傘を売る人が現れたのにはビックリした。タイミングが良すぎる。たとえ、天気予報をよく知っていたとはいえ……。
迷わず傘を買ったのは言うまでもない。
このように、ソウルの地下鉄の車内には、いろいろな売り子がやってくる。
突然現れたかと思うと、車内の人に向かって大声で口上を述べ、巧みに商品を売り始めていく。
今までに見た中では、傘の他に、雨合羽、扇子、乾電池、地図、Tシャツなどが演劇がかったパフォーマンスの中で売られた。
東京あたりだとすぐに規制されてしまいそうだが、ソウルの地下鉄は黙認なのか。かくして、車両から車両へと渡り歩く売り子がたくさんいる。
その日、車内に現れたのは、チューインガムを売る親子であった。
6歳くらいの女の子を連れた30代の母親がどこからともなく現れて、乗客1人1人に紙片を渡していった。
そこには次のように書かれてあった。
「この子の父親は交通事故で死んでしまい、私たちは明日の食事にも困るほどなのです。どうか、慈悲の心があるなら、このチューインガムを1000ウォンで買ってください。あなたの尊いお金によって、この子が救われます」
女の子は地味な服を着ていて、非常に沈んだ表情を浮かべて車内の中央にポツンと立っていた。
ひととおり乗客に紙片を配り終えた母親は、乗客がその紙の文章を読みおえた頃合いを見て、今度はチューインガムを持って再び乗客の間を回り始めた。
残念ながら売れなかった。
お涙頂戴のようなやり方がかえって周囲に「いかがなものか」という雰囲気をもたらしてしまったのかもしれない。
そのときだった。
突然、20代前半の若者が車内で大きな声を出した。
「みなさん、買ってあげようじゃないか。隣人を助けるのも務めですよ」
そう言うと、若者は母親を呼んで二つのチューイングガムを買った。その応対も非常に腰が低く、決して高飛車な態度をとらなかった。スーツを着てネクタイを締めていたが、どこから見ても今風の若者だった。
場の空気が一変した。
今度は、車内のあちこちで母親に声をかけて購入する人が相次いだ。
若者は見事にチューイングガムを売る親子の先導役を果たしたのである。
確かに、見知らぬ人たちに向かって「隣人を助けるのも務め」と堂々と言い放った態度に感心した。
サクラじゃないのか。
ちょっぴりそう疑ってしまう心がないわけではない。
しかし、若者にはそんな素振りはなかった。彼は、真心から親子に同情して販売に協力してあげたのだ。
そう思って地下鉄を降りたほうが、その日はずっと心地よくいられるはずだ。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
コラム提供:ロコレ