「コラム」追憶の済州島紀行2「トルハルバンの起源説」

トルハルバン(写真=済州特別自治道観光協会)

 

像とは本来、威厳をもって造られるものであろう。しかし、トルハルバンにかぎっては威厳よりも愛嬌が先行している。これぞ、古来陽気な済州島人の諧謔精神の表れか。それでも、城門の前に建てられたのであるから、厳粛なる役目があったのは間違いない。

 

皮肉っぽい表情
まずは、城門内に住む住民たちを守護すること。疾病の伝染を防ぎ、邪悪な悪霊や外敵を追い払う呪術的魔力がトルハルバンには込められていたはずである。
さらに、都邑の城門各所にトルハルバンが建っていることから、位置標識としての役割を果たしていたことも容易に察しがつく。特に、城門外に住む人間が城門内に気安く入ってこないように、トルハルバンがそれなりの睨みをきかせていたのであろう。
このように推測はできるのだが、しかし、トルハルバンが製作された時期については未だ特定はされていない。
確かに、いろいろな説はある。
たとえば、淡水契が編纂した「眈羅誌」によると1754年に金夢奎牧使が建てたという(牧使とは総督的立場の人と理解すればわかりやすい)。
しかし、これには疑問の声があがっている。なぜなら、済州牧、大静県、族義県の三区域に分割されたのが1416年のことなのに、トルハルバンが18世紀中頃にできたとすれば、それまでの300年以上に渡って城門の前に守護神的なものが何もなかったことになる。それは厄払いに執着する済州島では考えられないというわけだ。

そういうわけでトルハルバン起源説は今も諸説が入り乱れていて、議論好きな済州島人の格好の話のネタになっている。
「モンゴルの連中が残していったものだ」
「いや、東南アジアから持ち込まれてものに違いない」
「何を言っているのか。陸地の石像から影響されたんだ」
結論はまったく出ていないのだが、当のトルハルバンは諸説をあざ笑いながら、相変わらず皮肉っぽい表情で往来の人をながめている。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

 

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コラム提供:ロコレ

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2023.07.12