大きな権力を得た王妃
貞熹王后は睿宗の兄であった懿敬(ウィギョン/貞熹王后の長男)の息子2人の中から王を選ぶことにした。
長男は月山君(ウォルサングン)で、次男は者山君(チャサングン)である。この2人のうち貞熹王后が指名したのは者山君のほうだった。
表向きの理由は月山君が病弱のためということだが、貞熹王后が選択した本当の理由は、「者山君を王にしたほうが貞熹王后が自在に操れる」ということだった。
いわば、強引に押し切ったような形である。
こうして者山君は9代王・成宗(ソンジョン)として即位したが、貞熹王后は代理聴政(テリチョンジョン/摂政のこと)を行なって、大きな権力を得た。
貞熹王后は実際には漢字が読めなかったと言われている。そういう人が政治を仕切るのは、朝鮮王朝でも異例だった。
しかし、貞熹王后の後ろには、者山君の母であった仁粋(インス)大妃が控えていた。彼女は王族女性の修身の教科書を執筆するほどの博学だった。
この仁粋大妃をうまく利用しながら、貞熹王后は女性ながら王朝政治の主導権を握っていった。
文=康 大地(こう だいち)
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