【時代劇が面白い】朝鮮王朝はどんな歴史なのか9「朝鮮王朝の衰退」

嫁と姑の戦い
26代王・高宗(コジョン)は1863年に即位した。
彼はまだ11歳だったので、実際の権力は父親の興宣大院君(フンソンデウォングン)が握った。
高宗の以前には、王妃の外戚が60年近く権力を持っていたので、大院君としてはあまり力のない実家のほうから嫁を迎えた。その嫁が明成(ミョンソン)皇后だ。
彼女の実家に力はないが、明成皇后は勝気で有能な人だった。高宗が強気に出られない性格だったので、明成皇后がどんどん政治に関わり始める。

王に代わる権力を持っていた大院君の政治姿勢は、外国とは一切付き合わないということだった。一方で明成皇后は、早く開国して近代化しなければ欧米列国にやられてしまうと考えていた。
まず、嫁と姑の立場が違う。こういう場合、姑に従うのが儒教社会では常識なのだが、すでに夫を牛耳っていた明成皇后が姑にまで勝とうとした。その結果、嫁と姑の政治的な戦いが延々と続いた。

大院君は1865年に、豊臣軍の攻撃で焼失して200年以上もほったらかしにされていた景福宮(キョンボックン)の再建工事を始めた。しかし、重税を取ったため、民衆からの評判がよくなかった。
その隙をうまくついて明成皇后が実権を握っていく。
(第10回に続く)

文=康 熙奉(カン ヒボン)

コラム:韓流テスギ提供

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2022.11.18