私は李仲燮(イ・ジュンソプ)にますます興味を持った。「李仲燮といえば、韓国でも凄い画家でしょ」と私が言うと、チョスクさんは「ええ。有名な画家を3人あげれば、かならずその中に入るでしょうね。朴寿根(パク・スグン)、金煥基(キム・ファンギ)、そして、李仲燮……かな」。三番目に李仲燮の名が出たのが意外だった。真っ先に李仲燮を挙げると思っていたからだ。
徐福の故事
「李仲燮が一番ではないんですね」
私がそう言うと、彼女はちょっと首をかしげた。
てっきりチョスクさんは熱烈な李仲燮のファンかと思ったが、実際は「先に物件ありき」だという。カフェに適した物件が、たまたま李仲燮記念館の前だったということなのである。
それを聞いて、かえって私は安心した。どんな事情があるかはしらないが、彼女はよその土地から済州島に移ってきて、30歳前後でカフェを開いている。ファン心理の延長ではとうてい経営は無理。観光地で末永く店を続けようと思ったら、特定の客を対象にしないほうがいいのである。
それでも、客の入りはよくないようだ。私は「ミルナム」に1時間ほどいたが、その間、他に客はいなかった。
<1年後に訪ねたとき、まだ店があるかどうか>
ちょっぴりそんな心配をしながら、私はチョスクさんの穏やかな南風を感じさせる微笑みに送られて「ミルナム」を後にした。
さらに、西帰浦(ソギポ)の市内をゆっくり歩いた。
西帰浦という地名には、歴史的な由来がある。
逆上ること今から2000年以上も前、秦の始皇帝の時代。不老長寿の霊薬を求めた始皇帝は、配下の徐福を諸国につかわした。徐福は苦難の末に、済州島で霊薬に似たものを捜し当て、島の南側の浦から中国大陸をめざして西へ帰って行った。この故事に出てくる浦……つまり、「西へ帰る浦」が今の西帰浦だと島の古老は言う。
徐福は西をめざしたが、私は北に向けて出発した。
ただし、飛行機はやめて、船、バス、鉄道を乗り継いでソウルに行くことにした。ひとっ飛びで目的地、というのが時間の最大有効活用法であることは確かだが、それは多忙で1日が25時間あればよいと願う人たちの話。私は普通に1日が24時間でいいと考えているし、今そこに緊急の用件を抱えているわけでもないので、風景をのんびり見ていられる速度で北をめざすことにした。
(次回に続く)
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
コラム:ロコレ提供
康熙奉の「韓国に行きたい紀行」済州島7/本土から移ってきた人