【時代劇が面白い】『華政』で描かれた貞明公主の物語「第6回」

 

破格の待遇を受けた貞明公主
クーデターで王位を奪っているだけに、王朝の正統性という面で仁祖にも弱みがあった。その点、14代王・宣祖(ソンジョ)の正室が産んだ王女の婚礼を執り行なうというのは、仁祖にとっても大いに大義名分が立つ慶事であった。
なお、朝鮮王朝時代には、王子であれ王女であれ結婚すれば、世子(セジャ/王の正式な後継者)を除いてすべて王宮の外に出て住むしきたりがあった。


この場合、王室は王の子供たちが王宮の外で幸せに暮らせるように、相応の屋敷と土地を用意した。
しかし、貞明公主に与えられた屋敷と土地は破格だった。
貞明公主と洪柱元が住む屋敷は、王宮の昌徳宮(チャンドックン)にとても近く、敷地も広かった。
それだけではない。
貞明公主は屋敷とは別に、地方に広大な土地も与えられたのである。

貞明公主の境遇は、光海君が王位を追放されてから劇的に変わった。
彼女は幸せな結婚をして、立派な屋敷を用意され、しかも、大地主になったのである。これもすべて、仁祖が仁穆王后のご機嫌を取るための配慮のおかげだった。
仁穆王后にしても、最愛の息子の永昌大君(ヨンチャンデグン)が8歳で光海君の一派に殺されてしまったが、その後の生き甲斐になっていた娘の貞明公主が恵まれた生活を享受できるようになって、心からホッとした。


「いつまでも、この幸せが続くように……」
仁穆王后はそう願いながら、1632年に世を去った。
享年48歳だった。
このときから、貞明公主は冷たい北風を浴びるようになった。仁穆王后がいなくなってから、仁祖の態度がガラリと変わったからだった。
(第7回に続く)

文=康 熙奉(カン ヒボン)

 

『華政』で描かれた貞明公主の物語「第1回」

『華政』で描かれた貞明公主の物語「第2回」

『華政』で描かれた貞明公主の物語「第5回」

コラム提供:韓流テスギ

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2022.03.02