「コラム」康熙奉(カン・ヒボン)の新大久保ときめき物語1「25年前の職安通り」

現在の「韓国広場」

 

東京・新大保の周辺を歩くようになったのは1997年頃だった。今は大久保通りに沿って韓国食堂や韓流系のショップがとても多いが、25年ほど前は事情が違っていた。大久保通りでは韓流を感じさせる店が少なくて、職安通りのほうがずっと賑わっていた。

 

全羅道の出身
1997年頃の新大久保周辺でよく通った店が「31家(サミルガ)」であった。
職安通りの中で明治通りにかなり寄ったところにあった。今で言えば、ドン・キホーテと東新宿駅の中間あたりかな。
なぜ、この店に行ったのか。店名に強烈な印象を持ったからだ。
韓国で「31」といえば、植民地時代の独立運動を象徴する「31節」のことに違いない。韓国ならともかく、日本で「31節」を彷彿させる言葉を店名にしていることに関心を持って、ちょっと覗いてみた。


すぐに通うようになった。まず、ママさんが哀感を感じさせる美人だったからだ。
聞けば、全羅道(チョルラド)の出身だという。
韓国で全羅道といえば「食の都」だ。そこの出身なら料理が旨いに違いない。
案の定、どのメニューにも味に深みがあって美味しかった。
何度か行った後のある日、テーブル席が三つくらいしかない狭かった店内でほぼ食べ終わると、新しい客がやってきたので私たちは席を譲りたいと思って慌てて引き揚げようとした。

すると、ママさんが「大丈夫です。ゆっくりしてください。大切なお客さんですから」と、私に留まるように促した。
うれしかったなあ。
本当に、「31家」にいるときは居心地が良かった。ママさんに「31家」という店名の由来を聞いたことはなかったけれど。
こうして職安通りに馴染みの店ができると、すぐ近くの「韓国広場」というスーパーに興味を持って、よく出かけいくようになった。


「ここはまるで韓国だね。韓国料理に必要なものが何でも揃っている」
感心するばかりだった。
この「韓国広場」は、新大久保がコリアタウンと呼ばれるようになった根拠の一つになった店だ。その根拠とは?
次回は「韓国広場」を作った人に聞いた話を振り返ってみよう。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

 

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コラム提供:ロコレ

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2022.01.04