欧米列強の脅威
国力の強化をめざして行なった鎖国政策も様々なトラブルを起こした。天主教(カトリック)への弾圧強化もその一つだ。
興宣大院君は1866年から多くの教徒を殺害した。
その中にはフランス人の神父が9人いた。
その報復としてフランス政府は軍艦7隻と1千名の兵士を1866年に朝鮮半島に送りこんで、首都の漢陽(ハニャン/現在のソウル)から近い江華島(カンファド)を一時占拠し、朝廷側を震撼させた。
フランスがようやく撤退した2カ月後には、通商を求めたアメリカの商船ゼネラル・シャーマン号が朝鮮王朝の軍艦と衝突して沈没する事件が起こった。
アメリカは5年後の1871年に朝鮮王朝に対して損害賠償と通商の許可を求め、軍艦5隻を率いて江華島に侵入した。
これによってアメリカと朝鮮王朝の関係は悪化し、興宣大院君は鎖国制度をより一層強固にしていった。
しかし、彼の強引な政策は、反対勢力を勢いづかせてしまう。その先頭に立ったのが、高宗の妻として王宮に入った閔妃(ミンビ)だった。
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