哲宗が即位
若くして亡くなった憲宗には、跡取りとなる息子がいなかった。それに目を付けた安東・金氏は、自分たちの意のままに操れる王を探した。彼らが指名したのは、島で農業をしながら生活していた王族の一人の元範(ウォンボム)。王として指名された彼は、25代王の哲宗(チョルチョン)として即位した。
当時18歳だった哲宗には、明確な政治的思想も学識もなかった。それだけに、安東・金氏は勢道政治を強め、朝廷を完全に手中に収めた。国政の乱れは、地方の役所にも波及する。不正な役人たちは税金を納める義務のない子供と老人からも無理やり税を徴収するようになり、私腹を肥やしていった。
あまりにひどい対応に怒った庶民は、各地で反乱を起こした。責任を感じた農民出身の哲宗は、庶民の心を落ち着かせようと動いた。しかし、彼の意見は安東・金氏によって握りつぶされてしまった。
1862年、庶民の怒りはついに限界に達し、王や朝廷を否定して新たに信頼できる対象を求めるようになった。その過程で、かつて迫害された天主教が急速に全土に広まっていった。
一方、お飾りのように王に祭り上げられている哲宗。やる気を失った彼は、酒と女に溺れていき徐々にからだを壊していく。
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