予期せぬ死
初期の正祖は、社会問題となりつつあった天主教に対しては、柔軟に対処していた。しかし、天主教だった臣下の一人が、肉親が死んだときに天主教式の葬儀を行なったことが問題となった。
しかも、この一件は正祖が懸命に抑えていた派閥争いの新たな火種となりそうだった。それ以降、正祖は天主教を取り締まった。
ひたすら政治改革に邁進した正祖。父が党争の犠牲になったこともあり、派閥争いを憎み、王権を強化するために尽力した。しかし、改革もまだ半ばだった1800年、彼は48歳で予期せぬ死を迎えた。
自らの政治を完遂できなかっただけに、どんなに無念であったことだろうか。
なお、正祖は毒殺されたという噂もあるが、これを裏付ける確定的な史料はこれまでのところ発見されていない……。
文=「チャレソ」編集部
コラム提供:チャレソ