難しい後継者問題
民族独自の文字の必要性を熱心に説く世宗。長い年月を経てようやく1443年に「訓民正音」が創製された。
これは現在もハングルとして広く使われている。王の民衆を思う気持ちが、時代を越えた偉大な文字を誕生させたのだ。
しかし、多くの人たちに愛された世宗も、徐々に病におかされるようになった。それは朝鮮王朝に大きな不安となった。世宗も自身の死期を悟るようになると、後継者問題で頭を悩ませた。
世宗が世子に指名したのは長男の文宗(ムンジョン)だった。
幼少の頃から学問に秀でていて、性格も穏やかだった。非の打ちどころのない世子として認められた文宗だが、身体が弱く、長く生きられないように思われた。
そこで、世宗は王族の血を絶やさせないために彼を早くから結婚させた。結局、三度の結婚をしたのだが、どれも長続きしなかったが、三番目の妻の顕徳(ヒョンドク)王后との間に王子が生まれている。
(ページ3に続く)