金宗瑞(キム・ジョンソ)は今でいう総理大臣であり、一番の権力を握っていました。いくら王族の首陽大君(スヤンデグン)でもうかつに手出しはできなかったはずですが、やはり金宗瑞が油断したのがいけなかったと思います。「大虎」と言われるほど勇敢な人だったのですが、還暦を過ぎてちょっと年を取りすぎていたかもしれません。
政権が一夜で転覆
金宗瑞を襲ったあと、首陽大君は端宗(タンジョン)のところに急行し、「金宗瑞が謀反を企てたので殺しました。ほかに謀反に加わった者たちを呼び出したいので王命を発して招集してください」と迫ります。
気弱な端宗は有力な後見人を失い、首陽大君の言いなりなってしまいます。身の危険も感じたのでしょう。このままでは殺されるとおびえた端宗は、「おじさん、私を生かしてください」と言ったと伝えられています。
結局、端宗は脅しに屈する形で高官を全員呼び出す王命を発し、首陽大君は、1人ずつしか通れない狭い門からみんなが入ってくるように仕向けます。そのうえで、味方はそのまま入れて、反対派はその場で撲殺しました。こうして一夜にしてクーデターが成功します。朝鮮王朝の歴史の中でも、政権が一夜で転覆した稀有な例ということになります。
政敵をすべて排除した首陽大君は政権の要職を独り占めし、真綿で首をしめるように端宗を追い詰めます。堪えきれなくなった端宗は、1455年についに王位を首陽大君に譲ります。形の上で端宗は上王に祭り上げられましたが、実権はなきに等しい状態でした。
こうして首陽大君は念願の王になって、7代王・世祖(セジョ)となります。
王になった世祖が真っ先にやったことは、自分の即位に貢献した側近たちを政権の要職に就けることでした。とにかく、暗躍した連中はみな大出世しており、我が世の春を謳歌しました。そういう人たちが、13年後に世祖が世を去ったのちに「朝鮮王朝実録」の世祖に関する記述を担当しているのです。世祖に都合が悪いことを書くはずがありません。
「朝鮮王朝実録」に残る世祖の記録は「礼賛」だらけです。一方、金宗瑞についてかなり辛辣に書いてあります。かなり恣意的に編集されたと思われます。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
コラム提供:チャレソ
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