【時代劇が面白い】粛宗(スクチョン)の母が張禧嬪(チャン・ヒビン)を王宮から追い出した!

1680年、張禧嬪(チャン・ヒビン)が女官として宮中に入ってくると、その美貌がたちまち評判となって粛宗の目にとまった。そのとき、粛宗が19歳で、張禧嬪が21歳になっていた。

 

我が子の将来のために
粛宗の母の明聖(ミョンソン)王后は張禧嬪を毛嫌いした。美貌に隠された野心を見抜いたからである。
「あの女は良からぬことを考えている。宮中にこのままいさせてはならぬ」
明聖王后は、粛宗が張禧嬪に心を奪われていることが我慢できなかった。我が子の将来を憂い、その元凶となりそうな芽は早めに摘んでおきたいと考えた。
当時、粛宗の正室は仁顕(イニョン)王后だった。
明聖王后は仁顕王后に言った。

「あの女は毒々しくて悪だくみをしそうですよ。主上(チュサン/王のこと)が最近感情の起伏が激しくなってきたけれど、もしあの女にそそのかされているのならば、国家にとってもわざわいです」
ここまで明聖王后は張禧嬪を嫌悪していたのである。
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張禧嬪(チャン・ヒビン)の息子の景宗(キョンジョン)は最高の人格者!

王子を産んだ張禧嬪(チャン・ヒビン)はその後どうなった?

朝鮮王朝にはこんな悪女たちがいた!

悪女の典型とみなされた張禧嬪(チャン・ヒビン)の激しすぎる人生!

張禧嬪(チャン・ヒビン)/朝鮮王朝人物紀行11

2020.04.28