イ・サン毒殺説の証拠の書状が200年後の現代に発見された!

ドラマ『イ・サン』の主人公は22代王の正祖(チョンジョ)である。史実で正祖は1800年に急死したのだが、韓国では「毒殺された」という説が有名だ。ドラマ『イ・サン』では毒殺の件はまったく触れられていなかったのだが……。

299通の書状

正祖が1800年に急死したとき、すぐに毒殺説が起こった。その説は、英祖(ヨンジョ)の二番目の正室だった貞純(チョンスン)王后と高官の沈煥之(シム・ファンジ)が関与しているというものだ。この正祖毒殺説には、現代でも新たな証拠が出た。ドラマ『イ・サン』は2007年から2008年にかけての放送だったが、実は2009年2月に「正祖が沈煥之に送った書状が299通も見つかった」という事実が、成均館(ソンギュングァン)大学・東アジア学術院などによって公表された。発見された日付は1796年8月20日から1800年6月15日までのものだ。書状を見るかぎりでは、正祖と沈煥之が政治的に緊密な繋がりを持っていたことがうかがえる。しかし、奇妙なことがある。

正祖が沈煥之に「読んだあとに書状を破棄するように!」と厳命したのに、沈煥之は従わなかったのだ。だからこそ、書状は200年以上も経って発見されたのだが、沈煥之の動きがとても怪しい。
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一番利権を得たのは?

朝鮮王朝では、政治の裏で数々の陰謀が行なわれていた。沈煥之が表向きは正祖に従いながら、裏で毒殺を画策するということは、大いにありうることだ。なにしろ、沈煥之は、正祖の死後にその政治哲学を完全に否定した。まるで正祖の死を「待ってました」と言わんばかりであった。結果だけを見れば、正祖がいなくなったことで、沈煥之は自分の思いどおりに政治生命を維持することができた。その沈煥之の黒幕が貞純王后という可能性もある。2人は同じ派閥で利害が一致していた。共謀して侍医団が正祖に毒を盛るように仕向けた、という説には根拠がある。

とにかく、正祖が世を去って一番利権を得たのが貞純王后と沈煥之なのだ。2人には明らかな動機があった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

コラム提供:チャレソ
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2019.10.19