「コラム」第3回追憶の中の韓国紅葉紀行

第3回 日本武将の子孫たちが住む村

韓国南部の大都市の大邱(テグ)。この街から車で南に向かう。やがて低い山が見えてきた。どの山もお椀を伏せたように形がよく、木々も見事に紅葉して、秋の風景に彩りを添えていた。目がなごむ田園の景色を楽しみながら、友鹿里(ウロンニ)をめざす。そこは、日本武将の子孫たちが住む村である。

img_0010_new友鹿里の風景

沙也可の里

文献によると、1592年の朝鮮出兵のとき、豊臣軍の精鋭だった加藤清正の部下で「沙也可(さやか)」という武将が、義のない戦いを嫌って朝鮮に上陸するやいなや朝鮮王朝側に付いたという。

沙也可は武勲を朝鮮王朝の国王から褒めたたえられ、金忠善(キム・チュンソン)という姓名を賜り、領地として友鹿里を与えられたのである。

この友鹿里は、今では大邱から車で30分ほどの距離だ。

村に入ると、川沿いにイチョウの並木通りが続いていた。イチョウは圧倒されるほどに

美しく黄葉していて、青い空をバックに熱狂的な輝きを放っていた。

やがて書院の前に出た。そこは沙也可こと金忠善を祭るところで、正門から入ると小高い丘を背に重厚な瓦の堂が建っていた。(2ページに続く)

2016.10.01