韓国は今現在、国土が南北に別れ戦争状態(休戦中)であり、いつ北から攻め入られるか分からないという潜在意識下に置かれています。故に成人になった若者がいつ兵役に就くか悩みます。卑近な例で世界的に有名なアイドルグループ「BTS」のメンバーも歌手活動を中断して軍隊に服務しています。韓国男子にとっては何を差し置いても兵役に就くのが義務であり韓国男児の証明であり、その義務を全うしないと社会的に葬られてしまいます。
韓国には世界でも数少ない徴用制度があり、それが若者に重くのしかかっているばかりか、軍隊の存在が社会の全ての分野に大きく圧(お)し掛かっています。「漢江の奇跡」という経済成長も、1961年~92年までの軍人(出身)の長期政権も、また韓国人の行動や意識に見られる「パルリパルリ」(”早く早く”の意味で、上下関係、命令服従、推進力、目標達成意識、一点集中を象徴する言葉)等も軍隊抜きには語れません。
また手前味噌になりますが、私の短い入隊の体験をもとに軍隊を紐解き、皆様の理解を深めてもらう事にします。
私は”在日”として皆さんと同様に軍隊と無縁に育ち、日韓のはざまで自分のアイデンティティを探し求めて、母国に留学しました。日本では"朝鮮人"、韓国では”バンチョッパリ(半分日本人)と蔑まれながら、どっちつかずの青春を過ごし、悩み、その解決策を求めて祖国に来ました。
言葉を覚え、必死に韓国人になろう(国籍は韓国人ですが実態は日本人)と本国社会に溶け込もうと努力しました。韓国人とは何ぞや?自分は日本人なのか韓国人なのかを、もがきながらソウルで9年の月日が経ちました。当初のつたない韓国語もそれなりに通用し、本国の女性と結婚もし、子供も授かり職場も得て安定した韓国人の一員になったつもりだったのです。が、何かが欠けてる!何か物足りない!という不安が私の意識から離れませんでした。この不安は何だろう⁈
思い悩んだ末の結論は「軍隊」でした。
大学の友達と杯を交わしワイワイ騒ぎ、親交を深めても、軍隊の話題になると氷ついてしまい疎外感を感じました。戦前の軍隊アレルギーの為か、日本では軍隊の“軍”の字も教わらなかったので、基礎知識はおろか、彼らが兵役で暮らした3年間の軍隊生活は知る由もないので、”話に追いていくことも、あいづちを打つこともできない自分”が常に一人ポツンとそこにいました。
韓国人になれたと思ったのに、本国の人と心の底から分かち合えないもどかしさを感じさせた“軍隊”!。知らなかったための失敗もたくさんありました。
毎年の夏、祖国で研修を受けに来た在日の学生たちを連れて軍の部隊を訪問し通訳をした時の恥ずかしい話。
訪問部隊の師団長が韓国語で話し私が日本語で通訳していた時に、日本語でも韓国語でも発音が似ていたため“歩兵”(ボビョン)と“砲兵”(ポビョン)の区別がつかず、師団長(日本語が出来た)から誤りを正され学生の面前で恥をかいてしまいました。
また“馬術”を直訳して“マスル”と言ったのも指摘され、「君の“訳”は間違ってないが“マスル”と訳すと“魔術”に聞こえるから“スンマ”(乗馬)と言いなさい」と。
このような例ばかりでなく友達と話してる時も師団、大隊、中隊、小隊の規模すらわからないなど、軍隊ノイローゼになってしまいました。
ちょうどその時、軍隊から「召集令状」(防衛兵として招集/6~12か月の短期)が届き、そこにはいつまでどこどこの場所に集合せよと書かれていました。私には幼い子供がいて、入隊したら誰が代わりに働くのか?家族の面倒は?若い人に交じって訓練をする体力があるか?など不安が先立ち、親しい知人に相談しました。
そしたら突拍子にまず年を聞かれました。
“29歳”
“29歳と何か月?”
“何故それを⁇”
“いいから!”
“12月が誕生日だから満29歳と9か月”
“ん、だったら町役場に行きなさい”
“係の人にワイロ(2万ウォンほど)あげて3か月間「受取人不明」にしてもらえれば30(才)になり自動的に補充役(現在は36歳から)に編入され軍隊に行かなくて済むよ”と抜け道を教えてくれました。が、国民の義務を全うしない後ろめたさ(馬鹿正直さ)と軍隊を知らずにこの国で生きていく辛さなどを考えた末、入隊を決意しました。
以下、そのエピソードを通して韓国、韓国人に如何に軍隊が影響を及ぼしているかを説明していきます。3年間の兵役を全うした韓国人がこのコラムを読んだら1年未満の勤務のくせに偉そうに…と言われそうですが、体験してない人にとっては異次元の世界でしたので、あえて紹介します。
新兵訓練所に入隊してすぐバリカンで丸坊主(社会との断絶の儀式)にされ軍服に着替えさせられて3週間の新兵訓練の始まり。まず思い出すのが、食事のまずいことまずいこと。味気のない菜っ葉の味噌(申し訳程度に少し入ってる)汁と匂いがプンプンする麦飯とキムチと何かおかずが1種あった気がしますが、とても食べられたものでなく、初日は私だけでなくみんな一口二口食べて残しました。
ところが次の日から1日中ハードな訓練が始まると夕食と朝食を抜いたおかげで腹が減り目眩がするほどでした。食事の時間になると“こんなものが食えるか!”と言ったことが嘘のように、味気なさも匂いも忘れ、ただひたすらにガツガツ胃の中に流し込みました。中には自分のクッ(味噌汁より多めの韓国の汁)の具が隣の人より少ないと文句を言うのもおりました。
又スープの味が薄いので夜間に内務班を抜け出し厨房に行ってインスタントラーメンの“スープの素”を盗んでは配食時にそっとふりかけたことや、特別食として週末ごとに出るラーメンがこんなに美味しいものだとは…。
数十年たった今でもラーメンを沸かすたびに思い出します。<続く>
※権鎔大(ゴン・ヨンデ)韓日気質比較研究会代表の寄稿。ソウル大学史学科卒業、同新聞大学院修了。大韓航空訓練センター勤務。アシアナ航空の日本責任者・中国責任者として勤務。「あなたは本当に『韓国』を知っている?」の著者。
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