【時代劇が面白い!】国王・光海君の人生4「クーデター」

外交の他に、光海君(クァンヘグン)の政治的業績の1つと言われているのが大同法を広めようとしたことです。大同法は、税金を土地の所有に応じて支払うという法律で、直接的に一般庶民の減税につながるものです。両班(ヤンバン)や地主階級には不利になりますが、土地を持たない一般庶民は大歓迎でした。



「反正」の意味

光海君は大同法を都の周辺から施行しようとしました。しかし、税金が増えるということで、大地主である特権階級から恨まれます。
結局、「明を最後まで支援しなかったこと」「仁穆王后を幽閉したこと」「地主階級に不利な大同法を強行しようとしたこと」などを糾弾されて、光海君はクーデターを起こされたのです。
そういう動きを察知して何らかの手を打てなかったという意味では、光海君にも甘さがあったと思います。結局、彼はクーデターによって廃位となりました。
歴史用語の1つに、「悪い政治を正す」という意味の「反正(パンジョン)」があります。朝鮮王朝の歴史で言うと、1506年に暴君の燕山君(ヨンサングン)を追放して11代王・中宗(チュンジョン)が即位した「中宗反正(チュンジョンパンジョン)」と、1623年に光海君が追放されて仁祖(インジョ)が即位した「仁祖反正(インジョパンジョン)」が有名です。

光海君が追放された後、彼の統治時代の歴史が「朝鮮王朝実録」に記録されました。クーデターを成功させた仁祖の一派が作りましたので、自分たちのクーデターを正当化するために光海君を大変な悪者に描写しています。それが、後々まで朝鮮半島で光海君が暴君と言われた理由です。
確かに、当時の「朝鮮王朝実録」を読むと、光海君に対してひどい蔑称を使っていて、光海君を悪者にしようという意図が露骨に見えます。
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国王・光海君の人生1「宣祖の息子」

国王・光海君の人生2「兄弟の争い」

国王・光海君の人生3「外交戦術」

2023.01.28