「コラム」康熙奉の「韓国に行きたい紀行」済州島13/旅の終わり

船尾のベンチに座って漠然と後ろの海を見ていたときのこと。灰色のハンチングをかぶり白い靴を履いた70代の男性が横に座り、「先生様」と渋い声で呼びかけてきた。ずっと年上の大先輩から「先生様」と言われて恐縮したが、私が手に持っていた済州島の地図を見せて欲しいとのことだった。もちろん、「どうぞ、どうぞ」と言って渡すと、大先輩はじっくりと地図を見てから、「なるほど」と意味ありげな頷きをした。

金柑を食べる
「済州島の人ではないのですか」
私が聞くと、再び意味ありげに頷いた。本当は意味なんかないのかもしれないが、いかにも学者を思わせるような、もったいぶった大先輩の頷き方が、私に勝手な勘繰りをさせてしまうようだ。
「地図で見学した場所を確認してみたけど、済州島も思った以上に広かったね。ところで、あなたはどこから?」
「日本から来ました」
「日本は地震がとても多いと聞いているし、この間も大きな地震があったようだけど、怖くはない?」
「小さな地震は多いのですが、慣れっこになっているので、特に怖いとは感じません。自分のところは大丈夫、という気持ちもありますね」
「私は地震だけは駄目だね。生きた心地がしないよ」
大先輩はそう言って、心細い表情を浮かべた。

ちょうどそばには、黄色いサンバイザーをかぶった50代の女性が金柑の入った袋を持って立っていた。大先輩はその金柑をたくさんもらい、「うまい、うまい」と食べ始め、その香りがこちらにも及んできた。
ひそかにおすそ分けを期待していたら、その気持ちが通じたのか、3つほどくれた。
のどが渇いていたので旨かった。3つを一気に食べたあと、金柑を韓国語でなんと言うかと大先輩に聞いたところ、ただ首を振るだけだった。
すると、女性が「これはキンカンというのよ」と明るい声で言った。意外だったので、「日本でもキンカンと言いますが、韓国でも同じですね」と私が言うと、女性は私の肩を軽く叩きながら「だって、もともと日本から種を持ってきて済州島で栽培を始めたんですから」と教えてくれた。
女性が着ていたTシャツには、済州島の農協の文字が入っていた。黄色いサンバイザーの人たちは農協の団体だったのである。どうりで金柑に詳しいはずだ。
横では、大先輩が相変わらず満足そうに金柑を食べていた。
私は挨拶をして船室に戻った。

妙な疲労感に襲われ、大部屋の床にゴロリと横になって目を閉じた。相変わらず花札をする人たちの嬌声が船内に響きわたっていた。
午前11時半、フェリーはようやく莞島港に着いた。
こうして済州島への旅は終わった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

コラム提供:口コレ

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2022.09.16