女性の容姿にほとんど触れなかった「朝鮮王朝実録」が、張禧嬪(チャン・ヒビン)だけは例外的に美しき容貌を讃えている。それほど張禧嬪は美女であったのだ。そんな張禧嬪の人生を振り返ってみよう。 粛宗の長男を出産 ◆張禧嬪は1659年に生まれた。 ◆1680年に張禧嬪は王宮に入ってきた。彼女の親族に王宮の通…
朝鮮王朝14代王・宣祖(ソンジョ)。彼が統治する時代に大きな戦いがあったが、宣祖はその戦いの最中に王として人々から怨まれる行動を取る。いったい彼は何をしたのだろうか。 庶子から王に 13代王・明宗(ミョンジョン)には息子が1人いたが、1563年に12歳という若さで世を去ってしまい、正室が産んだ息子が…
朝鮮王朝には国王ですら恐れた「性格がきつすぎる王族女性」が何人もいたが、その中で特に5人を選んでみよう。彼女たちは韓国時代劇にも登場して王族男性をよく震え上がらせている。 最初の3人 まずは神懿(シンイ)王后だ。 朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)の最初の妻である。高麗王朝の武将として出世街道を…
『オクニョ 運命の女(ひと)』を楽しく見るためには、背景となっている時代の歴史について知っておいたほうがいい。そこで、『オクニョ』が描く時代について解説しよう。 明宗の統治時代 『オクニョ』は、主に朝鮮王朝の1550年代を描いている。この時代の特徴は、どんなところにあったのだろうか。 歴史上の人物に…
9代王・成宗(ソンジョン)は、王として実に多くの業績を残している。しかし、女性問題で多くのトラブルも起こしてしまった。その筆頭と言えるのが、廃妃・尹氏(ユンシ)との間に起こった問題だった。 仁粋大妃の忠告 成宗は1469年に12歳で即位すると、7代王・世祖(セジョ)の功臣の娘を妻に迎えた。一種の政略…
かつて光海君(クァンヘグン)には暴君のイメージが付きまとっていた。しかし、近年になると「むしろ名君ではなかったのか」という再評価の動きが顕著になった。果たして、光海君は暴君だったのか。それとも名君だったのか。その人生を見てみよう。 15代王として即位 ◆光海君は1575年に生まれた。父は14代王の宣…
国王・英祖(ヨンジョ)の息子だった思悼世子(サドセジャ)と、高官・洪鳳漢(ホン・ボンハン)の娘であった恵慶宮(ヘギョングン)。2人は果たして、どんな夫婦だったのだろうか。 夫婦の息子は正祖 思悼世子と恵慶宮はともに1735年に生まれた。 2人は9歳のときに結婚した。 このとき、21代王…
韓国時代劇によく取り上げられる「朝鮮王朝三大悪女」と言えば、それは張緑水(チャン・ノクス)と鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)と張禧嬪(チャン・ヒビン)のことだ。極端な形で歴史に名を残した彼女たちだが、その最期はとても惨めなものだった。 庶民に憎まれた悪女 張緑水は、10代王・燕山君(ヨンサ…
朝鮮王朝で国王の正式な後継者のことを世子(セジャ)と言うが、国王の座を約束されていながら即位できなかった5人を取り上げてみよう。それは、李芳碵(イ・バンソク)、懿敬(ウィギョン)世子、昭顕(ソヒョン)世子、思悼(サド)世子、孝明(ヒョミョン)世子である。 最初の3人 ◆李芳碵(イ・バン…
14代王・宣祖(ソンジョ)は朝鮮王朝で初めて、国王の正室ではなく側室から生まれて即位した人物だ。それだけに、自分はなんとしても正室から生まれた息子に王位を継がせたかった。しかし、それが難しかった。やむなく、側室が産んだ王子の中から後継ぎを選ばざるをえなかった。 最悪の屈辱 宣祖の長男は…