太祖はもう1人いた
次に「祖」について。
これは国にとって最も功績があった王に贈られた。
たとえば、朝鮮王朝の初代王は太祖だか、この「太祖」という諡は、建国した王に贈られたものだ。それゆえ、高麗王朝を建国した王建(ワン・ゴン)も、同じように太祖と呼ばれている。
つまり、朝鮮半島の歴史には太祖が2人いるのだ。
さらに、14代王・宣祖(ソンジョ)と16代王・仁祖(インジョ)の場合は、他国の侵攻から国を守ったことで「祖」がつけられた。
ちなみに、仁祖は1636年に清の侵攻を受け、皇帝の前で土下座する屈辱的な降伏をしたのだが……。
「君」「祖」がついていない王には、「宗」という漢字がついている。これが通常の諡だったと言えるだろう。
しかし、合点がいかない人も多いのではないだろうか。朝鮮王朝最高の聖君といわれる4代王・世宗(セジョン)は、なぜ「祖」でなく「宗」だったのか、と。
1443年にハングルを創製して、現在では韓国のほとんどの小学校に銅像があるほどなのに……。
今では金字塔と言われるハングルの創製も、当時はそれほど偉大な業績と評価されていなかったのかもしれない。
以上のように、王の名称や役割がわかってくると、韓国時代劇を見ていても、また違った面白さを味わえる。
文=「チャレソ」編集部