破格の待遇を受けた貞明公主
クーデターで王位を奪っているだけに、王朝の正統性という面で仁祖にも弱みがあった。その点、14代王・宣祖(ソンジョ)の正室が産んだ王女の婚礼を執り行なうというのは、仁祖にとっても大いに大義名分が立つ慶事であった。
なお、朝鮮王朝時代には、王子であれ王女であれ結婚すれば、世子(セジャ/王の正式な後継者)を除いてすべて王宮の外に出て住むしきたりがあった。
この場合、王室は王の子供たちが王宮の外で幸せに暮らせるように、相応の屋敷と土地を用意した。
しかし、貞明公主に与えられた屋敷と土地は破格だった。
貞明公主と洪柱元が住む屋敷は、王宮の昌徳宮(チャンドックン)にとても近く、敷地も広かった。
それだけではない。
貞明公主は屋敷とは別に、地方に広大な土地も与えられたのである。
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