密貿易が多かった
きっかけは誤認殺人だった。朝鮮王朝の役人が、釣りに出ていた4人の対馬人を倭寇と勘違いして斬殺したのが発端である。これに怒った対馬人が一斉に蜂起したのだが、背景には密貿易がからんでいた。
実は、日朝貿易の拠点となっていた3つの港では、もともと密貿易で利益をあげていた対馬人が多かった。
朝鮮王朝もそのことを大目に見ていたのだが、1506年に即位した11代王・中宗(チュンジョン)は密貿易の取り締まりを強化し始めた。
これが対馬側の感情を著しく害した。このように朝鮮王朝と対馬の関係が悪化する中で誤認殺人が起きて、怒りの蜂起につながってしまった。
対馬は援軍を送って蜂起軍を支援したが、朝鮮王朝が武力で鎮圧して6月下旬に乱は終結した。
「対馬の貿易特権を剥奪する」
朝鮮王朝は対馬の責任を厳しく追及したが、貿易を断たれると生活の糧を失う対馬は、乱の首謀者の首級18を差し出して正式に謝罪した。その誠意を認め、朝鮮王朝は貿易量を減らすという条件で対馬の謝罪を受け入れた。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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