【時代劇が面白い】英祖と思悼世子の親子関係の正体4「息子を餓死させた英祖の後悔」

 

一番長生きした王
英祖は、李命彬が文章に記した王命を読むように言った。しかし、政権内部でも強い力を持っていた洪麟漢がそれをさせなかった。一方の祘には、わずかな家臣がいるだけで王宮での立場は弱かったので、洪麟漢を批判することはできなかった。
祘は自分が王になれるかどうかの瀬戸際で、「私は代理で政治を行なうことに関しては辞退しますが、王命が文書になっていればそれに対して上奏できるので、文書は作らせてください」と言った。
しかし、洪麟漢は何も答えずに文書の作成を妨害し続けた。その様子を見た英祖は、重臣たちを見渡して、祘に巡監軍(スムガングン/王を守る軍隊)を付けることを宣言した。衝撃を受けた重臣たちはこぞって反対するが、英祖が「反対する者は拘束する」という脅しをかけたことで、重臣たちは一変して保身に走った。

こうして、祘が代理で政治を行なうことが正式に決まった。英祖は、祘が王位に就く道を自らの執念で切り開いたうえで、1776年3月5日に82歳で世を去った。本当に堂々としていて名君と評される人生だった。だが、思悼世子を餓死させたことは最大の過ちであった。英祖はそのことを死ぬまで後悔したことだろう。

文=康 大地〔コウ ダイチ〕

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コラム提供:ロコレ

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2021.03.16