7男1女の母
あせりを感じた母の仁穆王后は、必死の思いで婿を探し、貞明公主はようやく3歳年下の洪柱元(ホン・ジュウォン)と結婚することができた。
さらに、貞明公主は豪華な屋敷と広大な土地を与えられ、結婚後は王宮の外で裕福な暮らしを享受することができた。
しかし、仁穆王后が1632年に亡くなったあと、仁祖が手のひらを返して冷たくなってしまった。
そのせいで、貞明公主は陰謀によって処罰される危機を迎えながら、最後は「公主」という立場が効いて、無事に人生を全うすることができた。
夫の洪柱元との間にもうけた子供は7男1女だった。貞明公主は8人の子供の母であったのだ。
1682年、79歳になった貞明公主は息子たちに一つの文書を残している。それは、貞明公主が長い人生の中で身につけた「生きる知恵」であった。
貞明公主が息子に残した文書には次のように書かれてあった。
「私が願うのは、お前たちが他人の過ちを聞いたときに、まるで父母の名前を聞いたときのように耳だけにおさめて、口では言わないということだ。他人の長所や短所を取り上げるのが好きだったり、政治や法令を途方もなく言い争ったり……そんなことはとても憎むべきことである。さらには、死んだあとであっても、子孫の間でそんな行ないが起こったとは聞きたくない」
要約すれば、「人の悪口を言わない」「人の欠点をあげつらうな」「政治や法律で言い争うな」「子孫たちが仲良く暮らすように」ということだろう。
貞明公主の人生には苦難が多かった。その中で、彼女は必死に耐えて正しく生きてきた。そのことを彼女は子供たちに伝えたかったのだろう。
結局、貞明公主は控えめだが、芯の強い女性だった。
彼女は、1685年に82歳で亡くなっている。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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コラム提供:チャレソ