【時代劇が面白い】世祖と「死六臣」の対決/朝鮮王朝のよくわかる歴史3

成三問の気骨

成三問と6人の同志は、ちょうど中国(明)から使節が来ているときにクーデターを起こそうとします。使節を歓待する宴のときに世祖とその側近たちがみんな集まるので、そのときに乗じて殺してしまおうと計画したわけです。
その動きを世祖の側近の韓明澮(ハン・ミョンフェ)が察知します。
また、クーデターを起こそうとした同志の中から裏切り者が出たこともあり、決起は成功しませんでした。
成三問をはじめ有力な高官たちが捕まり、世祖による拷問を受けます。彼らは優秀な人ばかりだったので、世祖は殺すのが惜しくなりました。そこで、「余を王と認めよ。そうすれば許して取り立ててやる」と持ちかけます。
当時の拷問は、火であぶった鉄の棒を股の間に押しつけたりします。その拷問に堪えかねて、成三問たちが世祖のことを「王と認めます」と言ってしまったら、彼らは世間から笑われていたでしょう。忠臣の看板も下ろさなければなりません。
しかし、成三問は決して拷問に屈しませんでした。むしろ、拷問をする役人に向かってこう叫ぶほどでした。
「まだ鉄が生ぬるい。焼きなおしてこい」

拷問に堪えた成三問は、世祖のことを「ナウリ」と呼びました。この「ナウリ」という言葉は今でいえば「旦那さん」くらいの意味で、王に対して言うと、大変な侮辱になります。しかも、成三問は「あんたなんて絶対に王と認めない」と言い放ちます。その瞬間に世祖は逆上し、残虐な方法で成三問たちを処刑しました。
しかし、命を奪われた6人の忠臣は後に「死六臣」として称賛されました。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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2021.01.03