【時代劇が面白い】端敬王后の復位を強硬に反対したのは誰なのか(歴史編)

 

危篤になった中宗
最終的に、クーデターを成功させた高官の一部が強硬に大反対を主張した。
それによって、せっかく期待された端敬王后の復位は、結局は実現が不可能になってしまった。
やむなく中宗は3人目の正室として文定(ムンジョン)王后をめとったのだが、この女性がまれにみる悪女だった。
そのせいで、朝鮮王朝の政治は大きく混乱した。

それだけに、文定王后でなく端敬王后を復位させていれば、朝鮮王朝の歴史はいい方向に行っていたはずなのに……。
中宗は1544年に危篤となった。その際、端敬王后は王宮の正門まで駆けつけた。最後に一目でも中宗に会いたかったのだ。

しかし、元王妃とはいえ、王宮の中に入ることはできなかった。
そのまま中宗は亡くなった。結局、端敬王后は離縁されてから一度も中宗に会えなかった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

『七日の王妃』の端敬王后(タンギョンワンフ)はなぜ七日で廃妃になった?

光海君(クァンヘグン)はなぜ兄を差し置いて王になれたのか

首陽大君(スヤンデグン)が『不滅の恋人』のイ・ガンになっている!

16代王・仁祖(インジョ)はどんな王だったのか

安平大君(アンピョンデグン)が『不滅の恋人』のイ・フィになっている!

英祖(ヨンジョ)に米びつに閉じ込められた思悼世子(サドセジャ)はどうなった?

 

コラム提供:韓流テスギ

http://tesugi.com/

2020.09.15