景宗から英祖に王が代わって何が変化したのか

19代王の粛宗(スクチョン)は1720年に59歳で亡くなり、張禧嬪(チャン・ヒビン)との間に生まれた32歳の息子が即位した。それが20代王の景宗(キョンジョン)である。彼は性格が穏やかで名君の資質を持っていたが、病弱であったことが不安材料だった。

 

慕われた王
景宗は、わずか在位4年2カ月で世を去った。“張禧嬪の息子”というと、いらぬ先入観を持ってしまいそうだが、実際には人徳がある王であった。
朝鮮王朝実録でも、景宗についてこう記している。
「幼少時より学問に励み、欲のない方だった。誰からも、神聖であり徳があると讃えられた」
最大級の賛辞が贈られている。これだけ慕われた王であっただけに、景宗の早すぎる死は朝鮮王朝にとって痛手となった。
その景宗には子供がおらず、後を継いだのは異母弟の英祖(ヨンジョ)だった。

彼は、高官たちの派閥闘争には弊害があまりに多いと知り抜いていた。その観点から英祖が採用した人事政策が蕩平策(タンピョンチェク)だった。
これは、各派閥から公平に人材を採用する政策だ。能力主義を貫き、決して恣意的な人事をしないということなのだ。それまでの朝鮮王朝ではなかなか採用できなかった政策だが、英祖は果敢に取り組んだ。

その甲斐があって、あれほど激しかった“党争”も一時は沈静化した。これによって、英祖の王権も安定し、彼は国防の強化、過酷な刑罰の禁止、減税、庶子の官吏登用などで政治的な成果をあげた。
もちろん、厳しい身分制度が相変わらず続いていた。しかし、その中でも少しは人権に配慮した政策が実施されるようになったのは英祖の功績だ。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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コラム提供:チャレソ

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2020.09.01

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