【時代劇が面白い】思悼世子と恵慶宮は険悪な夫婦だった!(歴史編)

 

奇行が多くなった思悼世子
当初、思悼世子と恵慶宮は仲が良かったのだが、思悼世子の素行が悪くなってからは、夫婦の関係が変化していった。
「しだいに夫は変わってしまい、聡明さを失って奇行ばかり繰り返すようになった」
後に恵慶宮がそう回想しているが、彼女が指摘した「奇行」とは何なのか。
まずは酒乱だ。

思悼世子は酒に溺れ、父親の英祖からきつく禁酒を厳命されたことが何度もあった。しかし、彼の酒癖は直らなかった。
次に暴力だ。
酒の影響もあったと思われるが、思悼世子は側近にたびたび暴力をふるった。それは年とともに度が過ぎていき、ついには側室の1人を殺してしまった。
なぜ思悼世子は問題ばかりを起こしたのか。

恵慶宮は「彼は父を恐れるあまり錯乱を起こして数々の問題を引き起こしてしまった」と後に書物に記している。
その書物というのは、彼女の回顧録とも言える性格を持った「恨中録」だ(「閑中録」と表記されることもある)。
(ページ3に続く)

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2020.08.19