【時代劇が面白い】王になれなかった世子たち1「芳碩(バンソク)」

 

1398年の事件
鄭道伝は兄弟を一網打尽にしようと、偽りの伝令を走らせた。
<殿下が体調を崩したので、王子たちは今すぐに王宮に集まるように!>
知らせを受けた兄弟はあわてて王宮に集まった。
しかし、鄭道伝が向ける殺意に気付いていた芳遠だけは、衣類の下に鎧を着こなし、王宮の周りに私兵を準備させていた。

万全の体制を整え王宮に向かう芳遠。庭園には王宮に入れず立ちすくむ兄弟の姿があった。すぐに芳遠はこれが罠だったと確信した。彼は兄弟にその意図を告げると、王宮から避難させ、私兵を突入させた。
鄭道伝は予想外の強襲になすすべもなく首を切られた。そして、芳遠は太祖に向かい高らかに宣言した。
「鄭道伝は芳蕃、芳碩をたぶらかし、王朝を混乱させようとしたため殺しました。遺恨を残さないために芳蕃、芳碩の命も頂戴いたします」

こうして、芳遠は太祖の制止を振り切って、芳蕃と芳碩の首をはねた。朝鮮王朝初めての世子は王になる前に、異母兄弟の手によって命を落とした。1398年のことだった。
可愛がっていた芳碩の死を見た太祖は、失意のまま王位を譲り、二男の芳果(バングァ)が2代王・定宗(チョンジョン)として即位した。芳遠は自分の存在が突出するのを避けて、まずは兄を王位につけ、ほとぼりがさめた1400年に3代王に即位した。

文=李伯三(Lee Beksam)

李成桂(イ・ソンゲ)はこうして初代王の太祖(テジョ)になった

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コラム提供:チャレソ

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2020.08.11