テレビ東京の韓流プレミアで7月17日から『トンイ』が始まる。ハン・ヒョジュが演じる主人公のモデルとして有名な淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏は、19代王・粛宗(スクチョン)の側室で、21代王・英祖(ヨンジョ)を産んだ生母である。いったいどのような女性だったのか。
粛宗の側室
貧しい出自から19代王・粛宗の側室にまで上りつめた淑嬪・崔氏。典型的な“シンデレラストーリー”だが、そのきっかけに関しては有力な説が2つある。
1つは、7歳の頃から宮廷の洗濯や雑事をするムスリという仕事に就いていて、その間に粛宗と関係を持ったという説。もう1つは、粛宗の二番目の正室(継妃)である仁顕王后(イニョンワンフ)のお付きとして、宮廷に入ったという説だ。ここでは後者の説に立って、生い立ちを紹介しよう。
淑嬪・崔氏は幼い頃、両親と死別して孤児として育った。そんなある日、みすぼらしい姿をした淑嬪崔氏に声をかける人物がいた。仁顕王后の父・閔維重(ミン・ユジュン)である。
淑嬪・崔氏の身の上を聞いて不憫に思った閔維重は、彼女を自宅に連れて帰り、当時8歳だった仁顕王后と一緒に育てた。こうして、淑嬪・崔氏は、礼儀正しく聡明な少女へと成長していく。
1681年、閔維重は仁顕王后が粛宗の正室として指名されると、淑嬪・崔氏をお付きとして王宮に入れる。しかし、その8年後、張禧嬪(チャン・ヒビン)の策略で仁顕王后は王妃の身分を剥奪されてしまう。
そんなある日、夜中に宮中を散策していた粛宗は、熱心にお祈りをする淑嬪・崔氏を見かける。「何を祈っているのか」と尋ねると、淑嬪・崔氏は、不当な扱いを受けた仁顕王后のために祈っていると正直に告げる。
廃妃の決定を下した自分を悔いていた粛宗は、本心を語る淑嬪・崔氏の姿に胸を打たれ、彼女を側室として迎える。
側室になった淑嬪・崔氏は、張禧嬪から執拗な嫌がらせを受けるが、屈することなく真っ直ぐに生き続け、やがて仁顕王后も正室として復位することができた。
1701年、仁顕王后は亡くなるが、淑嬪・崔氏は最後まで仁顕王后に尽くした。そんな彼女に育てられた息子の英祖(ヨンジョ)は、後に名君として成長した。
コラム提供:ヨブル