滅ぼされた昭顕一家
王の後継者である世子(セジャ)の立場だった昭顕だが、その葬儀はかなり質素に行なわれた。
しかも、本来なら昭顕の長男が世子を受け継ぐはずだったのだが、仁祖によって昭顕の息子は3人とも島流しにされたため、鳳林が新たな世子となった。
さらに、昭顕の妻の姜(カン)氏も王を毒殺しようとした罪で死罪となり、昭顕一家は仁祖によって滅ぼされてしまった。
1649年に仁祖が世を去り、後を継いだ鳳林が17代王・孝宗(ヒョジョン)として即位した。
彼は、ずっと清への侵攻を願っていたが、明に代わって中国大陸を支配する大国に成長していた清に攻め込むことはできなかった。
孝宗は1659年に40歳で世を去るが、最後まで父の屈辱を晴らせなかったのは、かなり無念だったことだろう。
文=康 大地(コウ ダイチ)
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