【時代劇が面白い】仁祖(インジョ)はなぜ光海君(クァンヘグン)に復讐したかったのか?

15代王の光海君(クァンヘグン)は、外交や内政で政治的な業績が多い国王であった。しかし、彼は政権を維持するために骨肉の争いを起こしているので、恨みを持つ人も多かった。仁祖(インジョ)もその1人だった。

骨肉の争い
朝鮮王朝の14代王・宣祖(ソンジョ)は1567年に15歳で即位した。1592年には豊臣軍による朝鮮出兵があり、朝鮮王朝は存亡の危機を迎えたが、戦乱は1598年に終結して宣祖は復興に力を入れた。
朝鮮王朝が安定を取り戻すと、今度は宣祖の後継者問題が熾烈になった。

候補の筆頭は、宣祖の長男の臨海君(イメグン)だったが、彼は戦乱時に加藤清正軍の捕虜になり、その屈辱から精神的に乱れてしまった。
代わって評価を高めたのが二男の光海君(クァンヘグン)で、彼は豊臣軍に対抗して戦功をあげていた。はからずも、朝鮮出兵によって、2人の息子の評価が対照的になったのである。
1608年、宣祖が世を去ったあと、15代王になったのは光海君だった。
しかし、王位は安泰とはいえなかった。結局は光海君が王位に就いたあとも骨肉の争いが続き、その過程で臨海君と永昌大君(ヨンチャンデグン/光海君の異母弟)が殺されてしまった。

それでも、光海君は安心できなかった。彼は薄氷を踏むような気持ちで王座に座っていたのである。
そんな光海君をにらみ続けていたのが綾陽君(ヌンヤングン)だった。彼は光海君の甥にあたる人物である。
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仁祖(インジョ)の人生はどこでおかしくなったのか

光海君(クァンヘグン)は仁祖(インジョ)によって暴君にされてしまった!

貞明公主(チョンミョンコンジュ)をいじめた狡猾な仁祖(インジョ)!

光海君(クァンヘグン)が王になった特殊な理由!

朝鮮王朝の歴代王が一目でわかる一覧表

 

2020.01.31