無情の国王
英祖と思悼世子の親子関係は完全に崩れた。それでも老論派の者たちは、思悼世子を陥れるための工作を止めなかった。
驚くことに、その首謀者は思悼世子の妻である恵慶宮(ヘギョングン)の叔父・洪麟漢(ホン・イナン)、英祖の継妃の貞純(チョンスン)王后、思悼世子の妹の和緩(ファワン)だった。
いくら思悼世子でも、自分の身内に陥れられたらひとたまりもないだろう。しかし、彼にも非がなかったわけではない。思悼世子は放蕩を繰り返しただけでなく、側室を殺害するという犯罪まで犯している。
英祖は怒り、思悼世子に自決を命じた。しかし、思悼世子は「命だけは助けてください」と許しを請うばかりで、一向に自決しようとはしなかった。見るに見かねた英祖は彼を米びつに閉じ込めた。
それから思悼世子は水も食料も与えられないままとなり、閉じ込められてから8日後に亡くなっているのが発見された。
最悪の結果になった後で英祖はとても後悔したが、それは後の祭りだった。
政治的な業績が大きい反面、英祖は悲劇を起こした無情の国王になってしまった。
構成=「チャレソ」編集部
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