それぞれの最期
王朝を揺るがす大事件に関与した鄭蘭貞。彼女の運命は、1565年に文定王后が世を去ってから一転した。
強力な後ろ盾を失った尹元衡と鄭蘭貞は、それまでの悪事の数々によって復讐されると恐れ、すぐに王宮から逃げだして、地方でひっそりと暮らした。しかし、追っ手の追及から逃れられないと覚悟した鄭蘭貞は先に自害し、後から尹元衡も自らの命を絶った。
この夫婦は、結局は文定王后がいないと何もできない2人であった。後ろ盾の文定王后が世を去った後、もはや命運が尽きたと言えるだろう。
三番目の張禧嬪は、19代王・粛宗(スクチョン)に寵愛された女性だ。「朝鮮王朝実録」が何度も記したように、絶世の美女だったという。
その美貌によって粛宗に愛されて側室から王妃に昇格したのだが、後にトンイこと淑嬪(スクピン)・崔氏(チェシ)の登場によって張禧嬪の運命も変わった。彼女は再び側室に落ちた後、復位した仁顕(イニョン)王后を呪詛(じゅそ)したという嫌疑を受けて1701年に死罪となった。
ただし彼女の場合は、粛宗との間に産んだ子が20代王・景宗(キョンジョン)として即位しているので、張緑水や鄭蘭貞と比べて、その人生に多少の救いがあると言える。
以上のように、「朝鮮王朝三大悪女」は、斬首、自害、死罪という悲惨な最期になってしまった。
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「張禧嬪(チャン・ヒビン)よりトンイが悪女!」と言える3つの根拠